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今回の『THE KING OF FIGHTERS』は、普段集うことのない顔ぶれが揃っている。
 オロチ一族と呼ばれる共同体の中で、稀有な才能を持つ『オロチ八傑集』の面々――と言っても、全員ではないのだが。
『オロチ八傑集』とは、ゲーニッツ、七枷社、シェルミー、クリス、マチュア、バイス、ガイデル、山崎竜二の八名を指す。しかし、まことしやかに広まっているその名の情報と実態は驚くほど乖離している。
 八傑集の中で、現在もオロチの復活を望む者は半数であり、他の半数の興味は別にある。
 復活を望む半数――ゲーニッツ、七枷社、シェルミー、クリス。八傑集のうち、よりオロチに近い存在である彼らは『オロチ四天王』と称されている。
 そして現在、ゲーニッツを除く三名はとあるコテージでくつろいでいた。
「んー……八人揃うまで後三人かぁ。全然現実的じゃないね」
二人掛けの大きなソファを独占して座るクリスが言う。
「それはそうよ~。でも一気に揃ったら…うふふ、奇跡よね♪ オロチもびっくりしちゃうわ」
 ローテーブルを挟み、クリスの正面に座るシェルミーが楽しそうな声色で笑う。
「ねぇ、社もそう思わない?」
と、シェルミーの隣でコーヒーを飲む男に同意を求める。その男――社はコーヒーを一気にあおり、ローテーブルにカップを置き、呆れるように呟いた。
「おいおい、そんな簡単にいくわけねぇだろ……」
「あら、社ったら夢がなくてつまんない~!」
 シェルミーは深くソファに身体を預けて、伸びをしながら上を向く。
 視線の先にある窓の外では空に暗雲が立ち込めていた。雲の切れ間に刹那、雷光が走る。暫し見つめていると、更に大きな雷光の後に遅れて耳を劈くような雷鳴がした。
「……何だか荒れそうねぇ…」
 果たしてその雷光はこれから起こることの予兆だったのか、単なる偶然だったのかは知る由もない。

 某所、高級マンションの最上階にあるペントハウスにて。
ホワイトインテリアでまとまった室内、三人掛けのホワイトソファ中央に座り、大理石調のローテーブルに置かれた一通の封筒を見つめる視線。
 美しい金髪を揺らし、フゥ…とため息を吐く女性――マチュアはローテーブルの羊皮紙の封筒に手を伸ばす。
 封筒を優雅な手付きで裏返すと、そこにある古風な封蠟が目に入る。ツ…と、そっと指先で封蠟を半周なぞったところで再度裏返す。
 そこには『KOF特別推薦状』と記されていた。KOF――過去に参加した、良く知った名の大会のことである。
「特別ねぇ……今更寄越すなんて、今年は参加者不足なのかしら?」
 誰に言うでもなく、呟き傍に置いていたスマートフォンに手を伸ばす。検索バーに『KOF 参加者リスト』と入力し、表示された中の一つのサイトリンクを選択する。
 リストをスクロールして眺めると、見知った顔ぶれと名前が目に入る。
「あら…それなりに参加してるじゃない?」
 スマートフォンから封筒に視線を移し、「何でこんな物――」と言いかけたところで背後でバタンとドアが閉まる音がした。
「ふぁぁ……なんだ、珍しく早起きじゃないか」
「私はいつも通りよ。あなたがゆっくり寝過ぎなのよ、バイス」
「たまにはゆっくり寝たっていいじゃないか。急ぎの用なんてないだろ?」
と、もう一度あくびをして、ウーンと大きく伸びをする。そのまま赤みがかった茶色の前髪をかき上げ、マチュアの手元を見やり、キラキラまでとはいかないが目を輝かす。
「その封筒……よぉく見覚えがあるねぇ」
「ふふっ。お察しの通りよ。KOFへの招待ですって」
 マチュアはヒラヒラと封筒を振り、バイスに向かってにこやかに怪しく微笑んだ。
「へぇ…勿論行くんだろ?」
「行かないなんて選択肢、あなたにもないでしょ?」
 マチュアに問われ、バイスは目を細め、クククと不敵に笑った。

 数日後、先日のコテージにて――次のライブに向けての練習が終わりスイーツを楽しんでいる七枷社、シェルミー、クリスの三人。
 スマートフォンのニュースサイトを見たシェルミーが、何かに気付いたのかふと手を止め、驚いた顔をして二人に画面を向けた。
 クリスがスマートフォンの画面を覗き込み、幾分目を見開いた後クスクスと笑う。
ニュースサイトの見出しには――『マチュア&バイス、KOF参戦決定!』と太字で大きく表示されていた。
 それとほぼ同時に、リビングの大きな壁かけテレビの画面が明るく点灯し、優雅なクラシックが流れ始める。
「えっ、なに?誰かテレビに触った?怖いんですけど~!!」
 三人は画面に視線をやる。画面にぼんやりと人影が現れ、それは形を成し見知った男の顔になった。
「あの方々の参戦ですか。実に興味深いお話です…。これほどの血の濃いメンバー、その邪気に誘われガイデルのお嬢さんの覚醒も夢物語ではないかも知れませんね」
「あら、ゲーニッツ……って、なーんだ!またそんなご登場なの~?」
 直接この場に来なかったことにシェルミーが文句を言い、それにゲーニッツが一礼で返す。
「今夜は直接お伺いできず申し訳ありません。と言っても、近いうちにお会いできるでしょう」
――ゲーニッツ、七枷社、シェルミー、クリス、山崎竜二に加え、マチュア、バイス……合計七名が参戦となる。
 オロチ八傑集が、公式な場でこれだけ一堂に会するのは何年振りか――
「なあ、これだけの血のオーラを浴びたら、山崎の野郎もそろそろオロチの使命に従うんじゃねぇか?」
 社が持っているグラスを揺らし、中の氷がカランと音を立てる。
「え~!あんな裏切り者、絶対無理っ無理よ~!!ねぇ、クリスはどう思う?」
「うん、シェルミーに同意。あんなの使命に目覚めるなんてことあるの?」
「それより、KOF開幕までもう日がないよなぁ?そろそろ真面目に準備しようぜ!」
 持っていたアイスコーヒーを一気に飲み干し、空のグラスをローテーブルに乱暴に置き、社が笑う。
「そうね~!社にしては珍しくいいこと言うじゃない~」
シェルミーがグラスを空にして立ち上がる。それを見たクリスが「自分で片付けてよね」と文句を言いながらも片付ける。
 そんな三人の様子を眺めてゲーニッツが静かに言う。
「ふふふ……この世の終焉になるやも知れない会場で後ほどお会いしましょう」
「うん、またね。でも…次は直接来てよね、ゲーニッツ!」
 と、クリスがモニターに手を振ると同時にブツッと通信が途絶えた。

「相変わらず、不親切な会場スタッフの対応だね。一体どこにいるんだ、あいつは」
 KOFの観客やらスタッフやらの人の多さに、バイスが溜息を吐く。
 KOFの開催会場に着いたマチュアとバイスは、とある人物に会いに向かっていた。
 目の前にいる中継スタッフや足元に置かれている撮影機材等を避け進むと、視界が開けたそこに――二人が求める赤色の髪の男が立っていた。
「ごきげんよう、八神」
「……ふん。まだこの世に未練があるのか」
「久しぶりなのに相変わらずだねぇ…ちょっとは愛想ってもんを覚えたらどうだい?」
「…くだらん」
「ねぇ、八神。私達のこの姿、覚えてない?」
 八神庵の肩に手を置き、マチュアがくるりと半回転すると、ひらひらしたワンピースの裾がフワッと揺れる。
「…知るか。貴様らのことなど興味も湧かん」
「つれないねぇ。ほら、初めてチームを組んだ時の衣装だよ。懐かしいだろう?」
「そうよ、せっかく一番に見せてあげたのに何年経っても八神は八神ねぇ……」
「……チッ」
 面倒臭そうに背を向け「俺を巻き込むな」とボソッと呟き、八神庵はその場から去っていった。
 八神庵の背中が見えなくなった頃、【ご多忙にもかかわらずKOFにご参加いただき、ありがとうございます。これより――】と会場内に無機質な声でアナウンスが流れ始めた。
「バイス、そろそろ控室に戻りましょうか」
 マチュアは先に通路に向かい歩き始める。バイスが後を追う。そこで参加者らしき人物とすれ違う。その人物が発する強者のオーラを感じ取り、バイスは舌舐めずりをしてニヤリと笑う。
「クク……開始が楽しみだねぇ!」
 疾走する残酷な美貌と呼ばれ、鋭い手刀とスピードを駆使した技を得意とするマチュア。
 躍動する残忍な嘲笑と呼ばれ、豪快な投げと力技を得意とするバイス。
――これまでの参加者に加え、マチュアとバイスの参戦で今回のKOFが更に盛り上がることは明白の事実であった。

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あれは夏の日、ちょうど都内で開かれた格闘大会の決勝戦の日でした。
 普段からのお稽古の成果が実を結び、無事に優勝を果たすことはできたのですが……私、少しだけ落ち込んでおりました。
 それというのも、理由がございます。私が大会に参加するのは、みなさんに相撲の素晴らしさを知ってもらうためなのです。もちろん、力士として妥協することはございません。土俵に持ちうる全てをぶつけ、その結果として優勝を目指しております。
 今回の大会ではその目標に相応しいだけの相撲を披露できたという自負があります。
 ですが、一向に私たちの相撲部――その新入部員を見つけられておりません。
 相撲にご興味を持ってくださったのか、セレモニーの後に記者の方からお声を掛けていただきました。その方たちを勧誘してみたのですが、色よい返事はいただけずに終わってしまいました。
 そう、そのため、控室で紅茶をいただきながら、少しだけアンニュイな気分に浸っておりましたの。
 そのような折に突然、扉がノックされたではありませんか。
 「失礼いたします。四条雛子様、只今お時間よろしいでしょうか」
 「はい、どうぞ~」
 控室に訪れたのは、立派な黒のスーツを身に纏った二人のおじさまでした。
 「社長が雛子様と二人でお話されたいと……」
 差し出されたスマートフォンを受け取りますと、スピーカーから声が響いたではありませんか。
「先ほどの活躍、見せて貰ったよ。君のようなファイターを探していたんだ」
 まるで歌劇のスタアのようで凛々しく毅然とした口調。張りのある女性の声です。
 その声色や喋り方は記憶に新しく、私、ピンときました。彼女はアナスタシアさん。飛ぶ鳥を落とす勢いで世界に躍進してらっしゃる企業の社長さんです。
 お父様からは面識があると聞いていましたが、もしかしたら、VIP席からご鑑賞なさっていたのかしら。
 「君を一目見た瞬間に……ビビッときた! 卓越したセンス、洗練された技術。今日の主役はまさに君だ、ミス・ヒナコ!」
 きっと通話の向こう側では喜色満面でいらっしゃるのでしょう。そう感じるほどに活力に満ちたお声が控室に響きます。
 対面ではないのに、こうして伝わるほどです。きっと気さくで優しい方なのでしょう。
 「まあ……どうもありがとうございますう~」
 「こうして通話しているのは、君の才覚が私に提案を促したからだ。どうだ、ミス・ヒナコ。私が経営するスポーツクラブに移籍する気はない? スモウの振興に留まらず、専属ファイターとして君に様々な機会を提供することを約束しよう」
 「ご心配には及びませんわ~。ご学友のみなさんと一緒にお稽古する楽しさに勝るものはございませんもの~」
 「無論、その学友たちと共に来てもらっても構わない」
 「あら~、こんなに熱心に相撲部のお話を訊いて下さるなんて……――はっ!?」
 私としたことが、つい会話に熱中してしまい失念しておりました。
 アナスタシアさんは相撲にご興味がおありのご様子でした。こちらから入部のお誘いをする場面であったというのに……ああ、雛子、まさに一生の不覚です。
 「――しかし、この提案を実現する前に、条件を付けさせてもらいたい。ミス・ヒナコに例のものを!」
 傍で待機していた黒服のおじさまが私に一枚の封筒を渡して下さいました。
 その封筒は上品な装丁で、古風な封蠟が施されています。使われているのは羊皮紙でしょうか? 指触りが良くてサラサラします。
 「裏側に記してある通り、これはKOFの特別推薦状だ。それさえあれば、君は私が推薦したファイターとして大会に参加することができる」
 アナスタシアさんの言葉に導かれて封筒を裏返せば、そこには確かに『KOF特別推薦状』と記されております。
 まあ、KOF。その言葉にめくるめく思い出がよみがえります。
 舞さんやキングさん、ユリさん……それに、魔さん。みなさん、お元気でしょうか?
 「君がこの大会で優秀な戦績を残し、世界に通用するに足るスモウ・レスラーだと証明できた暁には……先ほどの提案の実現だ。晴れて君と君の学友を我がアナスタシア・スポーツクラブに勧誘しよう!」
 「ですから、移籍は困りますわ~。アナスタシアさんが相撲部に入部してくださるのでしたら、みんなで大歓迎いたしますのに~」
 率直な感想を申し上げれば、アナスタシアさんが椅子から立ち上がる音が聞こえてきました。
 「君の望みを叶えたくば、優勝を勝ち取ることよ! ミス・ヒナコ!」
 明朗快活な応援を最後に、通話はぷつりと切れました。
 静まり返った部屋の中で、私、じっくりと考えました。
 この対話が意味するところとは、つまり――……KOFで優勝をすれば、アナスタシアさんが相撲部に入部してくださるということに他なりませんわ。
 KOFにはきっと舞さんたちもいらっしゃる事でしょう。世界中のみなさんに相撲の良さを喧伝し、みなさんと再会し、そして新入部員をたくさん連れ帰る……考えれば考えるほど、魅力的で素敵なプランです。
 私はその場で封筒から特別推薦状を取り出し、同意欄にサインいたしました。それを受け取った黒服のおじさまは礼儀正しい挨拶と共に控室を去って行かれます。
 「では、優勝を目指して頑張りますう~」
 まずは今晩のちゃんこ鍋から。私は胸が弾む心地でこの場を後にしたのでした。

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前々回の大会から疎遠となっていたエリザベート・ブラントルシュから便りがあった。
その手紙には、久しく音信不通であったことへの謝罪に加え、KOFが終わり次第、上海で『とある人物』に引き合わせたいという旨だけが美しい筆跡で簡潔に綴られていた。
文面からも伝わる相変わらずの几帳面さに、彼女と折が悪いシェン・ウーがぶつくさと文句を零す様が目に浮かぶようだ。
感傷に浸るような性格ではないと自覚しつつも、シェンとの出会いとなったこの街に自然と足が向いたのは、自身が思う以上に心残りというものがあったせいかもしれない。

摩天楼が林立する艶やかな上海の街の中心部、一人の青年が音もなく歩いている。
どこか哀しげな空気を纏った東洋的な風貌の美青年は、人目を惹く美貌ながらも、他者の視線が及ばぬ薄闇の中を誰に気付かれることもなく進んでいく。
影法師のように物静かなその美青年――デュオロンは、友人であるシェンと久々に再会の約束を取り付けていた。指定の時刻までには余裕があり、もっと言えばあのシェンがトラブルも遅刻もなく定時通りに来るとは思えないものであるから、時間潰しも兼ねて散歩をしているのだった。
だが、いくら歩けど、結論は出ない。
「……さて、どうしたものか……」
懐から取り出した封筒に視線を落とし、彼は小さく息を吐いた。
今現在、彼を悩ませている原因がまさにこの封筒だった。『KOF特別推薦状』と記された、古風な封蠟で閉じられている羊皮紙の封筒がデュオロンの元へ届けられたのはエリザベートの便りを受け取った翌日のことだった。
何も、KOFという大会そのものに気後れしているわけではない。むしろ、裏切り者である飛賊の長、他ならぬ実父・龍の足跡を突き止めるために二度参加した経験がある。
だが、その結果はいずれも芳しくなかった。一度ではなく二度も空振りに終わったのであれば、「今度こそ」などという希望は持つだけ無駄だろう。多額の賞金もデュオロンにとっては不要である。この封筒が届いたタイミングも妙に間が良く、それにすら薄らと疑念を抱いてしまう。
「今更、心惹かれるものなど……何も……」
幾度考え直しても、やはりデュオロンがKOFに参加する理由はない。
だというのに、何故かこの封筒を捨てきれないでいる。
ふと顔を上げれば、通行人たちが歩調を緩め、興味深そうに近くのビルの大型モニターへ視線を映している様子が見えた。
スピーカーから派手なジングルが鳴ったかと思えば、『Martial Mayhem KOF SPECIAL』と仰々しいテロップがモニターの中を横切っていく。
今回のKOFはスポンサー企業がついているからか、以前に増して報道特集が増えている。特別参加枠とはいえ、デュオロンの本職は暗殺者だ。乗り気になれないのはそういった部分が影響していた。
「続きまして『KOF』に参加される選手への独占インタビュー! こちらの映像をご覧ください」
映像がスタジオからフランスの大通りへと切り替わり、インタビュアーと対面している二人の男女の姿が画面に映った。
華やかな街並みを背に毅然と立つのはデュオロンもよく知るフランスの令嬢、エリザベート・ブラントルシュだ。その隣に立つ、顔をフードで隠した男は彼女のチームメイトだろう。
「ククリ選手は前大会に引き続いての参戦。そして、エリザベート選手も過去の大会に幾度か出場された経験がおありとのことですが……」
「ええ。此度の大会も、ブラントルシュの名に恥じぬ戦いをご覧に入れてみせましょう」
一点の曇りも感じさせない、エリザベートの凛々しい表情にデュオロンはすっと目を細める。
シェン、そして彼女と組んで出場した、かつてのKOF。あの大会は何かがおかしかった。デュオロンだけではなくあのシェンでさえ、不気味な違和感と喪失感にしばらく頭を悩ませたほどだ。
あの時、フィナーレの花火が打ちあがる中、赤いカチューシャを握り締めながら生気のない顔で何処へと歩み去っていく彼女の姿を鮮明に覚えている。チームとして残したのは至って普通の戦績だ。彼女の家名に恥じるような体たらくを晒したわけでもないというのに、あれきりエリザベートは自身の屋敷に籠ってしまっていた。
彼女に何があったのかは知らない。だが、今こうしてメディアの前に姿を現したエリザベートの表情を見るに、きっと彼女はそれを乗り越えられたのだろう。
知己の安否を確認できたことに満足し、デュオロンがその場を離れようとしたその時だった。
「今大会が初出場とのことですが……意気込みは?」
そのままモニターから離れるはずだったデュオロンの視線は、へらへらと笑うその顔にくぎ付けになる。 突き出されたマイクに応えるように、彼は画面外からひょっこりと姿を現した。その人を食ったような笑み、愛嬌と意地の悪さが同伴するようなそばかす面にはありもしない既視感があった。
「フフ、そうだネ。初出場でドキドキしてるヨ♪」
聞き覚えがあるはずもない声だった。だが、それを『おかしい』と認識してしまう自分がいる。
かつて覚えた奇妙な違和感と喪失感が脳髄を揺らす。眩暈にも似た感覚の奥で、忘れてしまった何かをあと一歩で思い出せるような焦燥感が募っていく。
ぐらりと姿勢を崩したデュオロンは壁に肩を擦るようにして身体を支え、再びモニターへと視線を戻す。そのとき、カメラ越しに彼と目が合った。
「――『アッシュ』だ……! アッシュ・クリムゾン……!」
その名前を口にした瞬間、デュオロンの意識が鮮明になった。
パズルのピースがかちりと嵌ったかのように、曖昧な記憶が塗り替えられていく。
「案外、昔の知り合いも見てくれてたりして? トモダチの期待を裏切らない程度に頑張ってみるヨ」
アッシュはそう言ってカメラに向かって手を振り、離れていく。目立たないようにしているフードの男にわざわざ絡みに行く彼から注意を逸らそうとするかのように、エリザベートが咳払いをしながらインタビュアーの隣へと戻ってきていた。
デュオロンは思わずふっと笑みを零し、そして、自身がいつの間にか握り込んでいた特別推薦状を見下ろした。
「……やはり、お前は食えぬ男だ……」
強く握りしめられたせいでしわだらけになった封筒を指で伸ばしながら、彼は音もなく踵を返し、夜の街へと消えていく。
その口元に仄かな笑みが浮かんでいたことを、その場にいた誰も、終ぞ見ることは叶わなかった。

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師曰く、『次元の魔物』というものは人智を超えた存在であり、宇宙の創造から常に隣同士の場所でこの世界を監視しているらしい。
こちら側から目視できないその魔物についての伝承録は、太古から紡がれてきた人々の探求心と意地の賜物だ。前触れのない天変地異、世の理に反した異常事態。時に異能の力を用いながらもそういったものを追い求めた人々こそが、その力の片鱗、あるいは正体に迫り、後世に災いを残さぬように知恵を繋いできた。
そして、いつかそれが理を超えて世に現れたときには、アバーヤの力を用いて魔物を狩るのが正義の番人――つまり、ナジュドが果たすべき役割であった。
だが、長い歴史の中で次元の魔物という存在の伝承を紡いできたのはナジュド達だけではないという。
アフリカ大陸に広がる砂漠の奥深く、その魔物を死と再生の神として崇め、顕現を予知することに長けた一族の存在。
血ではなく智により後継してきた者達――その最後の足跡を辿るため、ナジュドはアフリカ大陸の奥地へと訪れていた。
オアシスの傍にひっそりと息づく集落、そこのとある民家にナジュドとガイドは足を踏み入れた。
「家主はかなり前に亡くなったそうだな。砂嵐に巻き込まれてしまったとか。気の毒に……」
家主の生前は手入れが行き届いていたのだろうが、今は床に砂混じりの埃が薄っすらと堆積しており、ここしばらく人が出入りした様子もない。
しかし、窓や扉は朽ちずに残っており、長年に渡って放置されてきたにしては妙に手入れされている印象を受ける。それも優しい近隣住民が手入れを続けてくれているのかと思えば納得できる範囲なのだが、ナジュドは引っ掛かりを覚えていた。
「無人なのかしら?」
彼女の問いかけにガイドはぐるりと部屋の中を見回し、悲しそうに頭を振った。
「隣の家の老人曰く、子供が家を継いだそうが……この様子じゃあな。しばらく誰もいなかったんだろう。だからこんなことに……」
彼の視線の先にはひっくり返されたかのように荒れている書架がある。空き家となってから泥棒に入られてしまったのだろうか。価値が高そうな書物は根こそぎ盗まれてしまったようで、床に落ちているのは石版や羊皮紙ばかり。そのいずれもひどく傷んでしまっていた。
ナジュドは一枚の写真を手に辺りを見回していたが、目当ての品が無いことが分かると小さくため息を吐いた。
「付き合わせてごめんなさい。それと、街に戻ってからでいいのだけれど……盗品の行方を追いたいの。情報屋を紹介してもらえるかしら?」
「お安い御用だ」
彼はそう言って笑い、荒れ果てた家屋に祈りの言葉を捧げてから出ていった。
ナジュドは彼の言葉を真似てから、改めて荒れた家の様子を眺めた。
「今は滅びた一族、その最後の大隠者が遺した手稿か……。彼らの無念のためにも、必ず探し出さないと」
師から受け取った一枚の写真を覗き込み、彼女は静かに眉根を寄せた。

一冊の手稿を追う旅路はナジュドにとって有意義な時間だった。
優秀なガイドがいい情報屋を紹介してくれたこともあり、大隠者の家から盗み出された書物の足跡を追うのはそう難しくなかった。幾つもの都市と店を経由し、その手稿が辿り着いたのはエジプトのアレクサンドリア。
細い路地の奥まった場所にひっそりと佇むその古本屋が、旅の終着点であった。
その店はどちらかというと雑貨店と呼ぶに相応しい外観をしていた。雑多に物が並べられた店内は狭く感じられるが、しかし、商品はいずれも手入れが行き届いていて、一つ一つを大切に扱っているのであろうことが分かる。
ナジュドが店内に足を踏み入れれば、品のいいテーブルに座って読書を嗜んでいた店主が顔を上げた。年配のその男はにこりと笑みを浮かべ、挨拶を返した。
「こちらの商品をいただきたいのだけど」
そう言ってナジュドは一枚の写真を取り出した。
年季の入った手稿を撮影したくたびれた写真を覗き込み、老店主は眉間にしわを寄せながら考え込む。そして、唐突に「ああ」と声を上げたかと思えば、ナジュドへ写真を返しながら小さく頭を振った。
「そいつはもう売れちまったね」
「売れた? まさか……」
アフリカの大隠者が残した手稿とはいえ、その意味を理解できない者にとっては無価値な代物だ。特にこの件はナジュドの師ほどの人物でしか知りえない伝承なのだから、それが売れたというのはにわかに信じ難いことだった。
次元の魔物を良からぬ事に利用しようとする者か、あるいは、眉唾物の民間伝承に惹かれた好事家か。何にせよ、誰がどのような目的のために手稿を入手したのかを把握しなければならなかった。
「その買い手がどんな人物だったか聞いてもいいかしら」
「男だよ。顔は覚えちゃない。何せフードで隠れていたからね」
「フードで顔を隠した男、ね……。他に特徴は?」
「そうさな。声の感じからして、若そうだったが……」
身振り手振りを交えながら喋るうちに記憶が蘇ってきたのか、店主は身を乗り出して言葉を続ける。
「思い出してきたよ。その男の服が妙に埃っぽくてね、指先まで砂まみれだったんだ。砂漠で転びでもしたのかって訊いてみたんだが……」
饒舌な店主の言葉を聞いて、思慮するナジュドの脳裏を掠めたのは一人の青年の姿だった。
目深にフードを被った怪しい姿に、その下から飛び出す暴言と礼節を欠いた態度。何より、彼の砂の異能力。彼が操る流砂と重なるように、アフリカの奥地の廃屋で見た砂埃がフラッシュバックする。
「早口で悪態を吐かれた、とか?」
ナジュドがそう訊ねれば、店主は大きく頷いた。
「自分が正当な所有者だとかなんとか喚き散らしてね。他の本を汚されちゃたまらないから、さっさと本を売って追っ払ってやったよ。まあ、あれは好事家でも学者でも、嬢ちゃんみたいな勤勉な学生でもなさそうだ。関わり合いにならないのが一番さね」
老店主は辟易の表情でぶつくさと先客の愚痴を零していたが、ナジュドの目を見て人好きのする朗らかな笑みを浮かべる。彼は小さく体を揺すり、周囲に陳列された古書の海をぐるりと見渡す。
「ともかく、そういうことさ。他に欲しいものはあるかい?」
ナジュドは老店主の視線につられるまま、店内を一望した。
様々な言語の古書をはじめとして、手作りと思しき木の彫刻、天井から吊り下がるガラスのランプに、壁にはタペストリー。用事を済ませたからといって立ち去るには惜しく思えるほど、この小さな古書店は魅力に包まれている。
彼女はしばらく考え込みながら一つ一つの商品に目を移し、そして棚の上段に飾られていた一本の香水瓶を手に取った。
「これはお幾ら?」
「お嬢さん、お目が高いね。安くしとくよ」
丁寧に商品を紙に包んで渡してくれた店主に一礼し、ナジュドは店を後にした。
 路地を進んで角を曲がれば、くっきりと地面に落ちた薄い影の中へと彼女の身体が滑り込む。多くの人でごった返す表通りの喧騒もここには届かず、耳が痛くなるほどの静寂が辺りに満ちていた。
 「魔物を前にしても動揺すらしなかったあの態度。何か秘密を抱えているものとは思っていたけど……ククリ、と言ったかしら。彼が大隠者の後継だったとは」
 ナジュドの呟きも乾いた風に乗り、どこかへと消えていく。
 「お師匠様の言った通り、あの大会が全てのカギになっているようね。まるで全ての運命が手繰り寄せられているかのよう……」
 そう言って一度天を仰ぎ、ナジュドは息を吐いた。そして、アバーヤの内側に潜ませていたもう一枚の書簡――『KOF特別推薦状』と記された、古風な封蠟で閉じられている羊皮紙の封筒を取り出す。
 闘士達の気を喰らい、次元の魔物は再び現れる。ナジュドが正義の番人として、とある青年が大隠者の後継者としてかの戦いに赴くように、様々な思惑と運命を抱えた者達が一堂に会することとなるだろう。
 これは予感ではなく確信だった。
 封筒を持つ手に力を籠め、ナジュドは一歩を踏み出す。アバーヤの裾を揺らめかせた彼女の後姿は、影の道の中へと溶け込んでいった。

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――シルヴィ・ポーラ・ポーラは激怒した。
必ず、かの陰湿砂男のククリんを叱らねばならぬと決意した。
それは彼女が中国からフランスへ帰国して間もない日、昼間のパリの市中での出来事であった。
目玉ちゃんと散歩している最中、華やかなブロムナードに似つかわない後ろ姿を偶然見つけたのである。歩く度に砂を石畳に落としているその青年の陰気な後ろ姿は、シルヴィの旧知の存在であった。
無論、友達と出会えばコンニチハ。シルヴィは礼儀正しい女の子であるため、大手を振って挨拶をした。
「やっほ~、ククリん!」
「っ!?」
その声を聴くや否や、その青年――ククリは不意を突かれたかのように振り返り、シルヴィの姿を見るや否や露骨に嫌そうに口元を歪めた。
「貴様なぜここに……というか大声で喚くなちんちくりん!」
彼が憎まれ口を叩くのはいつものことであったので、シルヴィは意に返さず彼に駆け寄った。
「ククリんからのお届け物、ちゃんとミアンのとこに届いてたよ! 今はポーラが預かってるのだ。これこれ」
郵送された物品がちゃんと手元に届いたことを伝えるのは大切なことだ。シルヴィは鞄の中から使い込まれたスクラップブックを取り出して見せつけた。
 ククリの口元はますます歪み、それこそ苦虫を嚙み潰したような様子であったが、シルヴィからすればただの照れ隠しのように感じられたのだ。今思えば、ここで友人の異変に気付かなかったシルヴィにも非はあったかもしれない。
「あのね、ククリんに会ったら訊きたいことがあって~……」
シルヴィはスクラップブックを開き、目当てのページを探し当てる。そこには乱雑に、しかしどこか切羽詰まった様子で書き留められた一文があった。その一文を目に映せば、やはりどこかうすら寒いものが背筋を滑り落ちていくような感覚があった。
そこに刻まれた文字を指でなぞり、彼女はククリの眼前に突き出す。
「この、『オトマ・ラガ』ってなあに? ポーラ、なんだか聞き覚えというか、見覚えというか、あるような無いような――」
返事はなかった。ただ、シルヴィはフードの影に隠れた彼の目が大きく開かれるのを見た。
驚愕、あるいは警戒だろうか。その表情は強張り、視線はスクラップブックとシルヴィの顔を捉えている。何にせよ、ここまで余裕のない様子のククリをシルヴィは見たことが無かった。
「お前、どこまで……」
喉につかえていた空気を押し出すように、ククリは言葉を吐き出す。そして、大きく深呼吸をしたかと思えば、シルヴィが思わず後退りしてしまうほどの勢いでズビッと指を彼女の鼻先へと向けた。彼が大きく腕を振った影響で砂が飛び散り、シルヴィの腰元の目玉ちゃんにパラパラと降り注ぐ。
「最後の忠告だからな耳をかっぽじってマイクロサイズの脳みそに刻め……“これ以上首を突っ込むな”! これは貴様に一ミリも関係のない話だ。痛い目を見たくなければお家でそのメダマチャンとオネンネしていろ分かったな!」
早口でまくし立てたかと思うと、ククリは脱兎の如く逃げ出した。その足はあまりにも早く、シルヴィが「はぐらかされた」と理解した頃には完全に視界から消えてしまっていた。
ここに来てようやく、シルヴィは確信を得たのだ。
ククリは何かを隠している。それも、恐らくは彼自身の今後を左右するほどの重大な内容を。シルヴィにとっての秘密結社ネスツのように、彼にとって重要で途方もない何かが身近に迫っているのだろう。
だが、それは友達であるシルヴィとミアンに分かち合える苦悩と苦難のはずだ。シルヴィはククリに頼られなかったという事が何よりも悔しく、同時に彼女らを頼らなかったククリに激怒したのである。

「……ってことがあったのだ。たしかにポーラはちょっぴり頼りないかもしれないけど、お話を聴くくらいはできるのに」
そして現在、街の片隅の喫茶店でシルヴィはククリへの愚痴を散々ぶちまけていた。
話し相手はイケメン格闘家のリサーチ中にSNSで知り合った同好の士であり、シルヴィよりも年上の素敵なお姉さん――シェルミーだ。ファッションデザイナーであるという彼女とは服の趣味に関する話もでき、何より目玉ちゃんを「かわいい~♡」と言ってくれる人でもある。今では、こうして都合が合えば度々オフ会をする仲にまでなっていた。
顔をしわくちゃに顰めながらグラスの底に溜まったソーダをストローで吸い上げるシルヴィを前髪越しに見つめ、シェルミーは頬に手を当てて小首を傾げた。
「確かに、友人に隠し事されるのは嫌ね。自分が関わってそうな事ならなおさら」
「ククリんだって同じことされたら絶対に嫌がるはずなのに……自分がされたらイヤなことを他人にしちゃいけませんってポーラが直々に教えに行きたいよう」
口をストローから離し、シルヴィは眉を下げる。
「ポーラ、ミアンとククリんと一緒にKOFに出たかったのに」
悲しげに俯くシルヴィの姿をシェルミーはじっと見つめていた。彼女はしばらく考え込むように顎へ指を添えた後、パッとその口元に華やかな笑みを浮かべて胸の前で手を叩く。そして、顔を上げたシルヴィに対し、一枚の封筒を差し出した。
「実は私も友人達とKOFに出場するんだけど、招待状の他にこんなものも貰ってて~♪」
古風な封蠟で閉じられている羊皮紙の封筒をシルヴィの手に乗せると、シェルミーは裏返してみるように言葉を添える。その言葉に従ってシルヴィが封筒をひっくり返すと、そこには一文が添えられていた。
「KOF……特別推薦状!?」
「残念ながら、特別推薦枠での出場だと運営側が編成したチームでの参加になっちゃうみたいなんだけど、大会に出場することはできるわ。お友達にお説教するチャンスになるかと思ったんだけど……どう?」
「はわわ! こんな貴重なの、ポーラが貰っていいの?」
「もちろん! 私はシルヴィちゃんが勝ち進められるって信じてるから」
明るく笑う彼女の言葉を受けて、シルヴィもまたつられるように笑顔になった。ニシシと歯を見せて笑い、受け取った封筒をポシェットの中へ大切にしまう。
 「ありがとう、シェルミーさん! ポーラ、ククリんに説教するのはもちろんだけど、大会を勝ち上がってシェルミーさん達にも会いに行くのだ!」
 「ええ、楽しみしてるわね~♪」
 シルヴィはポシェットを閉じながらぎゅっと拳を握り込み、誰にともなく小さく頷いた。
 “友達のために戦うシルヴィ・ポーラ・ポーラ”なんて、きっとかつてのポンコツシルヴィには想像もできなかっただろう。そんな今の自分がちょっぴり誇らしく、そして嬉しかった。
シルヴィは目玉ちゃんをそっと撫で、改めてその顔に笑みを咲かせる。そして、目の前に置かれていた食べさしのタルトへ再び向き直るのであった。

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雨上がり、雲の切れ間から差し込んだ光が鬱蒼と緑の茂る山中を照らす。
 人も獣も寄り付かないような、切り立った断崖の上にその小屋はひっそりと佇んでいた。
 長年に渡って使われ続けてきたのだろう、小屋の外観は雨風に晒されたせいであちこちが痛み、朽ちている。しかし、各所に見える修繕の跡は最近のものであり、積まれた薪の切り口は真新しい。
 僅かな風で軋む扉の向こう側、荒んだ稽古小屋の中で静かに座す一人の男がいる。
 天井から染み込む雨水がぽたり、ぽたりと音を立てて床で弾けるその空間で、巌のような静けさを纏い、その身を微動だにさせることない男の名はキム・カッファン。
 瞼を静かに閉じるその面立ちは精悍であり、以前よりも頬が痩せ、目元に薄っすらと影が落ちている。武人として磨きがかかったと言えば聞こえはいいが、彼をよく知る者達が見れば口を揃えてこう言うことだろう。
 げっそりしている、と。

 前回のKOFが終わり、キムが師匠のガンイルと共にこの山に籠ってからどれだけの時が過ぎただろう。春が来て、夏が訪れ、秋となり、冬が過ぎていく。その間、野山に咲く花々の彩りであったり、青々と広がる葉の瑞々しさ、色づく紅葉に目を移したり、降る雪に感動したりなどという余裕は一切無かった。
 ただ、生きるために必死だった。一年にも渡る過酷な修行の思い出が、キムの瞼の裏に駆け抜けていく。
 「ほれ、懐かしいと思わんか? 初心に戻って登って来んかい、キムよ!」
 山の急斜面の上からキムへ向かって大量の丸太を転がす、ガンイルの笑顔。
 その言葉通り、彼に師事して間もない頃、キムはこの修行を経験していた。しかし、今回のものは当時に比べて量も速度も段違いだった。そのうえ、ご丁寧に地面には幾つもの罠が仕掛けられており、少しでも油断すれば足を取られて転倒してしまう。あの頃はまだ手心があったのかと感じる間もなく、キムは何度も丸太の下敷きになった。
 「ここいらに凶暴な熊が住み着いて困っとるらしくてなあ。これも修行と思い、励めよ!」
 凶暴な熊が闊歩する縄張りにキムを置き去りにしていった、ガンイルの笑顔。
 麓の村に住む人々の平穏のためであれば、どれだけの強敵であっても我慢ができるというものだ。しかし、この戦いもまた過酷を極めた。人を襲う事に慣れた獣との戦いは三日三晩続き、昼も夜も周囲への警戒を怠れないという生活はキムの精神を削り続けた。
 修行はそれだけではない。目が覚めたら両手両足を縛られて見覚えのない谷に転がされている事もあれば、ひたすら山麓から山頂まで岩を運ぶ事も、冬の川の中に腰を浸けながら素手で魚を取る事もあった。
 ガンイル曰く、「元気にやっとると、わしの方から連絡はしとるぞ」とのことだが、この一年間、妻や子供達の顔を見ることはおろか、声を聴くことすらかなわないでいる。
 テコンドーこそ世界最強の格闘技である、という考えは変わらない。むしろ、テコンドーに対する熱意も、師範として向き合い背負っていくことへの責任感も、この修行を通じてますます強まったのは確かだ。技も磨かれ、肉体も締まり、キムは確かに強くなった。
 しかし、研鑽されるということは、裏を返せば削られて瘦せ細るということ。人並み以上の正義感と情熱を抱いているキムであったとしても、人間であることには変わらない。痛みを感じれば苦しみを覚えもする。
 日に日に摩耗していくキムの傍で唯一変化のないものは、師匠の明るい笑顔と豪快な笑い声だけ。
 つまり、「正直キツい」ということだ――...。
 キムはゆっくりと瞼を開き、その双眸に鋭い光を宿しながら正面を睨みつけた。
 彼の正面に置かれている古風な封蠟で閉じられている羊皮紙の封筒、その表には『KOF特別推薦状』と記されている。
 「...ここで、終わらせなければ...!」
 肺の底から絞り出すような一言と共にキムは封筒を拾い上げ、ぐっと握り締めた。

 腰帯を締め、封筒を強く握りしめながらキムは稽古小屋の外へと踏み出した。
 小屋の外に一歩踏み出せば春の訪れを示すような風がごうっと音を立て、土と雨のにおいを含んだ空気と共にキムのすぐ傍を駆け抜けていく。肺一杯に新鮮な空気を取り込めば、疲弊した精神が少しばかり癒されるような心地がした。
 「下りるか、キムよ」
 不意に背後から掛けられた言葉にキムが振り返れば、小屋の壁に背を預けるようにしてガンイルが佇んでいた。表情はいつものような明るいものではなく、真剣そのものだ。彼の視線はキムの手に握られた封筒に注がれており、何を言わんとしているのかは訊かずとも理解できた。
 キムはガンイルへと向き直ると、その精悍な顔に爽やかな笑みを浮かべながら頭を下げる。
 「師匠! この一年間、ご指導いただきありがとうございました! 私は今から下山し、KOFという舞台で修行の成果を試すこととします! どうかお元気で!」
 決意と熱意が籠った弟子の言葉を聞き、ガンイルはしばらく黙って見守っていた。そして、何かに気づいたかのように一度だけ目を丸くしたかと思えば、その顔にニカッといつもの笑顔を浮かべる。
 「開催時期を考えりゃあ、まだ猶予はあるじゃろ。なら、その期間にわしが手取り足取り見てやるわい!」
 ガンイルの笑顔を見、キムの顔から血の気が引いた。僅かに口の端をピクピクと痙攣させながら、彼は必死に声を張り上げる。
 「いえ、十分にご指導いただいておりますので! お心遣い感謝いたします!」
 「遠慮するでないわ! もうちっとくらい稽古をつけてやろう」
 「いえ、師匠もこれから巡業でしょう! 私のことはお気になさらず!」
 「せっかくなら今からジョンもここに呼び寄せるか? ほれ、張り合いも出てくるじゃろ」
 「本当にッ‼ お気になさらずッ‼」
 二人の声が木々の合間をこだまする。春風ですらかき消せないほどの言い争いはしばらく山間に響き渡り、そこに住む動物達をビクッと怯えさせた。
 山の上からはいつの間にか雨雲は過ぎ去り、透き通るような青空が広がっていたという。

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「今日の修行はここまでじゃ!」
 「は、はいっ!」
 草薙柴舟のよく通る声が庭先に響き渡る。
  彼の声が耳に届いた瞬間、矢吹真吾はぴたりと身体を止め、肺に溜まった空気を全て吐ききらんばかりに息をついた。修行が終わったと自覚した瞬間、砂埃と泥で汚れ切ったジャージに汗が染み込む何とも言えない不快感が一気に押し寄せ、真吾は慌てて置いていたタオルをつかみ取った。
 十数歩離れた場所から弟子の様子を眺めていた柴舟は改めて真吾の泥だらけの全身を眺めた後、しみじみと言った。
 「それにしても、真吾よ……この数年で随分と上達したのう」
 この場に矢吹真吾という青年をよく知っている面々が居れば、柴舟の言葉に頷いたことだろう。
 息は切らしているものの、今の真吾はしっかりと両足を地につけて立っている。以前の彼であれば地に倒れて一歩も動けなくなるほどの修行量を、今の真吾は難なく乗り越えることができるようになっていた。日々の基礎鍛錬、体力作りに費やした彼の努力は実りつつある。
 「えへへ……炎の方は全然! ってカンジっすけどね」
 照れくさそうに真吾は笑い、泥だらけになった指で頬を掻いた。言葉とは裏腹にその声音には喜色が溢れんばかりに滲み出ている。
 柴舟はそんな様子の真吾を見つめ、ため息交じりに呟いた。
 「今のお前を一目、京に見せてやりたいわい。あやつめ、タン老師からの依頼を人に押し付けおって。どこで何をしておるのか……」

 前回のKOFから何があったのか、京はなかなか自宅に帰ってこないらしい。しかも、どうも柴舟の反応からするに、三種の神器としての使命に関わることであるらしい。何にせよ、真吾個人として心配こそすれ、数々の局面を乗り越えてきた彼に対する信頼も厚く、結局は「邪魔しないようにしよう」という結論に落ち着いたのだが。
 そんな事情であるから、勿論、真吾はしばらく彼に会ってない。最後に会ったのはおそらく、草薙家に彼だけではなく二階堂紅丸や大門五郎も集まっていると話を聞いて駆け付けたあの日で……。
 ふと、真吾はとあることに気づいた。
 「……もしかして、俺の修行の成果、草薙さんに全っ然見てもらってないんじゃ!?」
 よく考えれば、あの日も大門に修行の成果を見てもらいはしたものの、京との手合わせは叶わなかった。それどころか、何か喋り込んでいた様子だったので、下手をすれば視界に収めてもらってすらいなかったかもしれない。
 その事に気づいてしまった真吾はしなしなと俯き、肩を落とした。柴舟に褒められた喜びもどこへやら、重くなった足取りでようやく家に辿り着いた時にはとっくに日暮れを過ぎてしまっていた。
  「ただい……ん?」
 玄関のドアを開く前に、ふと、郵便受けから突き出した封筒が真吾の視界に入る。
 郵便物の取り忘れだろうか、さっき届いたにしても中途半端な時間だなと訝しげに手に取れば、それはまるでファンタジー映画の小道具のような古風な封蠟で閉じられている羊皮紙の封筒だった。隅には流暢な筆記体で宛先が記されており、目を凝らせば『シンゴ・ヤブキ』と読み取れなくもない。
 ぺらりと封筒をひっくり返すと、そこには一文が添えられていた。
 「えーっと、『KOF特別推薦状』……とっ、特別推薦状ぉ⁉」
 慌てて封筒を開いて中身に目を通せば、そこには矢吹真吾を特別推薦枠としてKOFに招待したいという旨、それにあたっての出場条件が記されていた。
 「俺がKOFに参加、って……」
 真吾は目を閉じ、考えた。KOFという言葉で思い至る面々を瞼の裏に浮かべてみる。尊敬してやまない草薙京とその炎に始まり、様々な格闘家達の鮮烈な技、能力、そして三段の高笑いがよぎっていく。
 しばしの沈黙を経て、真吾は青ざめてぶるりと身震いをした。
 「いや……弱気になるな、俺っ!」
 弱気を追い出すようにパァンと頬を叩き、真吾は封筒を力強く握りしめる。
 「これはチャンスだ。大会に出て草薙さんに今の自分の全力を見てもらうチャンス! それに、大会後に草薙さんが俺に稽古つけてくれることだってあるかもしれない! いやっ、“かもしれない”じゃなくて、ある!」
 自身への鼓舞は徐々に力強くなり、その力強い声色に反応して三軒先の犬がワンワンと鳴き声を上げ始めた。たちまち弱気を彼方へ押し流し、その目にメラメラと情熱の炎を宿しながら、真吾は閑静な住宅街の空へと吠え立てた。
 「うおおおおおっ! 見ててくださいよ、草薙さ~~~んっ!!」
 この直後、玄関から鬼の形相で飛び出してきた姉にスリッパで叩かれたのはまた別の話。

TEAM NAME

──  サムライチーム  ──

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TEAM NUMBER
TEAM VISUAL

時空のはざま、別次元へと続く亀裂の向こう側でそれぞれ手を振る仲間達を見送り、ナコルルは小さく息を吐いた。視線を落とせば、淡い輝きを放つ自身の手が視界に入る。
次元や時空を超えるという行為は肉体に多大な負荷をかける。なぜなら次元や時空の超越は“理に反する”ことであるからだ。肉体という殻から解き放たれ、魂だけの存在となったナコルルだからこそ、影響を受けず旅を続けることができるのである。
 ナコルルには聖なる精霊の力、つまり同行者を次元や時空の超越による悪影響から守るだけの力がある。しかし、力にも限度はあるため元の世界から長い期間離れることはできない。ナコルルは旅仲間達をそれぞれの世界に戻す決断を下した。友との別れに寂しさこそ伴うものの判断を後悔はしていないし、苦楽を共にした思い出は確かに胸の中に刻まれている。
 彼女は己の両手をじっと見つめ、端正な顔に物憂げな表情を浮かべた。
 「今度こそ悪しき神を討たないと。このままだと、何が起きるか...」
 拳を握りこみ、彼女はしばらく瞼を閉じた後、決意に満ちた眼差しを時空の向こう側へと向ける。
その視線の先から微かに聞こえてくる波の音を頼りに、ナコルルは確固たる意志をその目に宿し、鷹のように飛び立った。

「大海も横断できるほどの頑丈な船ねぇ...」
出島の港に停泊する大船の甲板で、ダーリィ・ダガーは樽にもたれ掛かりながら言われたばかりの言葉を反芻する。船大工である彼女がふらりと異国の地を回るために旅に出ることはままあることで、こうして日ノ本に立ち寄っては、気まぐれに馴染みの顔に会いに行くこともよくある光景であった。
この夜、客人として彼女の前に胡坐をかく男もまた、「ダーリィ・ダガーが港にいる」という噂を聞いて風の向くまま船に立ち寄ったのである。

積み荷の木箱の上に座り込み、手持ちの酒瓶を傾けながら流浪の剣士ー覇王丸は頷いた。
「今まで使ってた船はこの前の大シケでやられちまってなァ。折角なら前よりも頑丈な船で旅がしてェと思ってよ。ダーリィ、お前さんなら作れるかい?」
覇王丸の膝元、なみなみと中身を注がれた盃を遠慮なく手に取ると、ダーリィは一気にそれをあおる。気持ちのいい飲みっぷりに覇王丸も口角を上げる。
ダーリィは樽の上にドカッと音を立てて座ると、拳で自身の胸を強く叩いた。
「ハッ、誰に向かって言ってんだ? あたしらが作った船をなめてもらっちゃ困るね。頑丈どころか、七つの海を百回渡ろうが大嵐に千回巻き込まれようが、底に穴すら開きやしねぇよ!」
彼女はそう言ってニヤリと笑ってすぐ、怪訝そうに目を細めながら身を乗り出す。
「それよりも覇王丸、船を注文するのはいいけど持ち合わせはあるんだろうね? 飲み友達だからってタダで請け負ってやるほどあたしもお人好しじゃないよ」
「悪ィが、今は持ち合わせがねェ。しばらく食い物に困らねェくらいには持ってたんだがよ、あの大シケのせいでパァだ。今頃、魚と仲良く海の底で暮らしてらァ」
苦々しげに覇王丸は肩を竦めたが、いつまで経ってもダーリィの眉間のしわが消えないことに焦りを覚えたらしい。苦笑から一転、彼は唸り声と共にパンと顔の前で両手を合わせた。
「...何とかならねェか? この通り!」
頭を下げる覇王丸をしばらく眺め、ダーリィはフッと笑みをこぼした。
「仕方ねぇなぁ。じゃ、うちの工房でしばらく働いて貰おうかね! 近ごろガラの悪い連中が島に立ち寄るようになってみんな困ってたんだ。あたし一人でも何とかできるけど、あんたも居るとなりゃあ島のみんなも心強いだろ」
「すまんなァ、恩に着る! しかし、あんたの故郷に立ち寄るのも久々だな。悪ガキどもは元気にしてるか?」
「悪ガキから爺ちゃん婆ちゃんまでみーんな元気さ! 前にあんたが遊びに来てから何も変わってないぜ」
 二人の笑い声が甲板に響き、遠方で休憩していた水夫達もつられて陽気な表情となる。
 そうして、彼らが寄せる波の音を肴に再び盃を酌み交わそうとした時だった。
 覇王丸とダーリィのすぐ傍で月光を集めたような淡い光の粒が漂う。どんな夜光虫にも当てはまらないその光は驚く二人の目の前で一点に収束し、まばゆい光とともに一人の少女の姿を形どった。
 「うおっ!?」
 思わず目を覆った二人が瞼を上げると、一人の少女が光の粒を纏いながら甲板に舞い降りた。彼女は清廉な空気を漂わせる長い髪の少女ー二人がよく知るカムイの戦士、ナコルルであった。
「覇王丸さん。ダーリィさん。お久しぶりです」
 覇王丸とダーリィは目を丸くしながら微笑むナコルルを見つめたが、すぐに強張らせていた肩から力を抜いた。
「風変わりな嬢ちゃんだとは思ってたが、まさか何もねェとこから出てくるとはなァ...」
「煙玉じゃないだけマシだね。アレ、たまにこっちまで吸い込んで噎せちまうんだよ」
 近くの木箱を指さして「まあ座りなよ」とダーリィは言い、覇王丸は近くに置いていた土産物の中からナコルルの口に合いそうなものを探し始める。そんな二人を大人びた視線でじっと見つめた後、ナコルルは唐突に頭を下げた。
「覇王丸さん、ダーリィさん...どうか、私と共に時空を超え、悪しき神を討つ手助けをしていただけますか?」
 きょとんとする二人に対し、ナコルルは丁寧に事のあらましを語り始めた。
この江戸の世から遠い未来、『けーおーえふ』という格闘大会が開かれること。その大会で生まれる闘志や気を吸収し、災厄を招こうとしている悪しき神が存在すること。悪しき神の内には暗黒神アンブロジァの邪なる力の欠片が宿っており、それをうち祓えるのはナコルルだけだということ。様々な次元を超えて心強い仲間と共に戦ったが、今一歩のところで取り逃がしてしまったこと。
 全てを語り終えたナコルルは静かに胸の前で手を組み、祈るようにじっと二人の様子を見つめる。話を静かに聞いていた覇王丸はガシガシとこめかみを掻いた後、ダーリィと目くばせをした。
 「なァ、ナコルル。俺達からお前さんに一つ訊きてぇことがあるんだがよォ...」
 そう口を開きながら、覇王丸はどすんと木箱から下りた。同じくダーリィも腰を上げ、近くに立て掛けていた大鋸を軽々と掴み上げる。
 覇王丸は不敵な笑みを浮かべながらダーリィと並び立ち、腰に下げている愛刀・河豚毒の柄を指で叩いた。
「その大会、強ェヤツはいるのかい?」
 二人の異口同音にナコルルは一瞬の間を置き、自身も明るい笑みを浮かべる。
 そして、二人へ手を差し出しながら、力強く頷いた。
「はい、もちろんです!」

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──  裏オロチチーム  ──

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正午も過ぎ、太陽が高い場所へ昇ったのどかな昼間だった。広大な自然公園の一角で、そよ風と呼ぶには弱々しい空気の流れを肌身に感じながら、読書に耽る一人の男がいる。その牧師風の衣服に身を包んだ男は穏やかな表情でページをゆっくりと捲っていく。
 昼過ぎの公園は人も疎らだ。だがしかし、人の気配が希薄だからこそ今の時間は男にとって心地が良かった。目を閉じれば青々と茂る木々、小鳥やリスなどの小動物の息吹が感じられる。いささか不自由な身の上ではあるものの、こうして自然の清らかな空気に包まれながら読書を楽しむのがこの男の現在の日課であり、ささやかなる息抜きでもあった。
 不意に机の上に置かれたスマートフォンの画面が光り、その男は本からそちらへと視線を移す。着信音に設定されているクラシックが優雅に流れる中、通話通知の下に表示されている連絡先を確認すると、男は本に栞を挟んで静かにスマートフォンを手に取った。
 「ご無沙汰しています。貴方から連絡してくるとは珍しい...お元気ですか?」

 “彼”は「お前の意見を聞かせてくれるか?」と開口一番に言い放ち、男の返事も聞かずに語り始めた。
 「黒い空間に、謎の亀裂...そこから這い出る無数の手ですか」
 スピーカー越しに聞こえる声に耳を傾けながら、男は顎に手を添えて考え込む。
 荒唐無稽な悪夢の部類にしか聞こえないような内容だが、軽い口調とは反しその声色は真剣で、その言葉の端々からはー“彼”にしては珍しくー微かに迷いが感じ取れた。
 遠くの茂みで木の実を探す小鳥を視線で追いながら、男は静かに返答した。
 「ええ、私もこの目で見ました。その正体について...私の推測を聞きたい、と? 確かにあの子は慎重な性格をしている。未知の存在に警戒心を抱くのも尤もでしょう。しかし、その言葉に過度な杞憂を抱くなど、貴方らしくもありませんね」
 男が笑いを含みながら指摘すると、すぐさま「馬鹿にしてんのか」と“彼”の怒ったような声が返ってくる。男と“彼”の今の関係は赤の他人ほど浅くもなければ、“彼”の同居人や友人ほど深いものではないはずだ。しかし、それでも今の一言で“彼”の表情がありありと想像できるのが可笑しく感じられた。
 「フフ。貴方とシェルミー、そしてクリス...復活して間もないとはいえ、傲りを捨てた貴方がた三人が揃えばその杞憂すらも“些細な事”。違いませんか?」
 “彼”の短いうめき声が聞こえる。通信の向こう側では、“彼”は決まりが悪そうに渋面を作っているのだろう。数秒の間をおいて小さなため息交じりに「そうだな」という言葉が返ってくる。男の返答を聞いて少しは“彼”も気が楽になったのだろうか、先ほどよりもその声音は軽かった。
 男は穏やかに微笑みながら手元の本のページを戯れに一枚捲り、再び口を開く。
 「マチュアとバイスは八神庵の血に惹かれ、山崎竜二は一族の使命よりも己の欲望を満たす道を選んだ。そして、レオナ・ハイデルンは本来あるべき己の姿から目を逸らし続けている...今やオロチ一族の使命に忠実な徒は我々オロチ四天王のみとなりました。
 しかし、それも摂理なのかもしれませんね。我々はオロチ一族という“全”であると同時に、一つ一つの意思を持った“個”なのですから。私も、シェルミーとクリスも、そして貴方も...」
 静かに語る男の傍を、微かな風が吹き抜ける。
 「地球意思オロチが一度目覚めれば、全てのオロチ一族がその在り様を取り戻すことでしょう。レオナだけではなく山崎竜二でさえも...。愚かな人類が滅び、平穏と活力を取り戻した楽園...この目で見てみたいものです」
 先ほどよりも強い風が公園を駆け抜ける。木立がサワサワと音を鳴らし、草むらの中で木の実を啄んでいた小鳥がいっせいに顔上げて飛び立った。
 「たとえ此度の戦いの結果が望むものでなかったとしても、焦る必要はないでしょう。我々は彼らと違い、こうして考える時間があるのですから」
 男が穏やかに声を掛ければ、“彼”は考え込むように黙り込む。声が途切れれば、スピーカーの向こうからは車の行き交うエンジン音、通行人のざわめきまで鮮明に聞こえてくる。きっと、男の傍の木の葉擦れ、脇を抜けるそよ風や遠くで飛沫を上げる噴水の音も、“彼”の耳元に届いているはずだ。
 しばしの沈黙を経た後、“彼”が再び言葉を発した。その問いに男は僅かに眉を上げた。
 「...私の今後の活動、ですか?」
 男は本から視線を上げ、数本もの木と生垣を隔てた遥か向こうーこうして穏やかに知己と通話をしている様子でさえ真剣な表情で睨んでいる一人の男へと目をやった。目が合えば、目深に帽子をかぶったその男は焦った様子で新聞紙を読むフリをして顔を隠す。慌ててインカム越しに上司へ助けを求めているのだろう。数時間後には別の人間が素知らぬ顔で交代しているに違いなかった。
 「ご心配には及びませんよ。私は私の方で楽しませていただきますので...ね」
 その返答に含まれた意図を汲み取ったのだろうか、“彼”は納得したように声を上げた後、からりと乾いたいつもの声音で「おう、了解」と返す。
 全てはオロチのためにーその一言を男へと告げると、“彼”は一方的に通話を打ち切った。
 静まり返った木立の下、『通話が終了しました』と表示された画面を見下ろすと、男は満足げに目を細めながらスマートフォンの電源を切った。
 風上で葉擦れの音が聞こえたかと思えば、ビュウと吹きつけた一陣の風が男の身体を包み込むように通り過ぎていく。軽く紙面を抑えるだけであった男の指を押しのけるように、本のページはバサバサと音を立てて捲れ、物語はひとりでに進んでいく。
 一度は凪いだはずだった。しかし、何の因果だろうか、彼らはこうして現世へと甦った。
 それが何を意味するのかは天のみぞ知ることであり、男達に必要なものは究明ではなく信仰である。
 今は離れた場所にいる同胞達への祈りを捧げた後、男ーゲーニッツは口元に穏やかな笑みを湛えながら、その視線を天へと向けた。
 「風が...吹いてきましたね」

TEAM NAME

──  サウスタウンチーム  ──

TEAM NUMBER
TEAM VISUAL

サウスタウンを一望するように佇むギースタワーの高層階に位置する一室。窓の外に広がる絢爛豪華な夜景を眺め、王者の貫禄を漂わせながら椅子に腰掛けるギース・ハワードがそこにいた。
 自身の支配する街を愉悦の表情で見下ろすギースの傍らに佇み、彼の右腕であるビリー・カーンは資料へと視線を落とす。
 ビリーの手にした資料にはハイデルン部隊から諜報した様々なデータが記載されていた。そのほとんどが前回のKOFで姿を現した謎の怪物・バースに関する調査資料であり、今回もまたバースの再来を予見するような報告で締めくくられている。
 「ハイデルンどもが“バース”と呼称しているあの化け物...。ギース様もヤツが今度こそ完全体となって現れるとお考えで?」
 ビリーにそう問われれば、ギースは含み笑いを浮かべて肯定する。
 「そうだ。しかしビリーよ、次はあれよりも面白いものが見れるやもしれんぞ」
 「はっ...それは、どういう...?」
 「バースはただの呼び水に過ぎん。機が満ちた今こそ、アレは...」
 ギースが言葉を終えない内に、静かな部屋に笑い声が響く。
 ビリーは来客用ソファに座る男へ鋭い視線を向けた。しかし、笑い声の主は傲岸不遜な表情を解くことはなく、さらに挑発するかのように目の前のローテーブルに踵を乗せる。
 「クキキッ...わざわざ大金積んで何を依頼してくんのかと思えば、性懲りもなく新しいバケモノの見物かぁ? 相変わらず酔狂なオヤジだぜテメェは」
 そう言って山崎竜二は正面からギースの目を捉えた。その悪意に満ちた挑発さえも真っ向から受け止めるギースの傍らで、ビリーは主への非礼を耐えかねた様子で眦を吊り上げた。
 「ンだとテメェ...?」
 ビリーが手にした棒で軽く床を叩くと、山崎は視線を彼へ移した。
 「おいおい。下らねぇことで噛みついてくんじゃねぇよ、飼い犬野郎がよ。それとも何だ? ご主人様の前で二度と噛みつけないほどにブッ壊されてぇってか、エェ!?」
 山崎の嘲笑交じりのその言葉が冗談の類ではないことはこの場の誰もが理解していた。殺意を滲ませながら蝮のような視線を送ってくる山崎へ、ビリーもまた殺意を隠すことなく棒を構える。一触即発のその空気に、出入り口で控えるリッパーとホッパーが思わず固唾を飲んだその時だった。
 「ご両人ともお控えください」
 二人の間に淀みない足取りで割って入ったのはハワードコネクションの新入りーハインであった。彼はビリーへ片手を上げて制し、反対側の山崎へ視線を送る。
 「山崎様。あなたへご依頼したのは私の代理...“KOFにおけるギース様への同伴と護衛”でございます。契約金の支払いも既に完了しておりますので、これ以上軋轢を起こす言動を繰り返されるならば同伴拒否...ひいては契約違反とさせていただきますが」
 口調こそ穏やかではあるものの、ハインの視線は冷え切っている。常人であれば身動きが取れなくなるほどの怜悧な視線だが、そのような視線で睨まれただけで一度火が点いた山崎竜二という男が引き下がるわけもないとこの場にいる一同が考えた時だった。
 「ケッ、口うるせぇ野郎だぜ...」
 ただそれだけ、山崎はつまらなさそうに悪態を零し、浮かしかけていた腰を再びソファに沈めた。
 肩透かしを食らった様子で、ビリーは武装解除しながらギースへ問いかけた。
 「ギース様...山崎を雇ったのはまだ理解できますが。今回、新入りを連れていかないのは何故ですか?」
 「案ずるな。私が命じたのだ」
 ギースは鷹揚に笑うと、一歩引いて部屋の窓際に佇むハインを見た。その視線を受けて彼は慇懃に一礼し、普段と変わらぬ様子で説明を始める。
 「皆様がご不在の間、僭越ながら街の清掃をお任せいただくこととなりました。どうかご安心ください...皆様がお戻りになられる頃には、ギース様の不在を狙うゴミを私が全て片付けておきますので」
 ハインの説明に特におかしな点はない。強いて違和感を上げるとすれば新人にしてはギースの信頼を得過ぎているという部分くらいだ。しかし、ハワードコネクションに拾われてからのハインの働きぶりを考えれば納得のいく範疇なのか、リッパーとホッパーは腑に落ちた様子で小さく頷く。ただ、ビリーだけが納得いかないとでも言いたげに彼を睨み返した。
 ふとリッパーが腕時計に視線を落とし、ギースへと呼び掛ける。
 「ギース様、そろそろ...」
 「長く話し込みすぎたようだ。ハイン、客人を外までお送りしろ」
 ギースは一言そう命じると、静かに椅子を回転させて山崎とハインに背を向けた。
 「かしこまりました」
 「支払われた金の分くらいは協力してやるが、テメェの部下共よろしく指図を聞く気もねェ。俺は俺で好きに楽しませてもらうぜ、ギース・ハワードさんよ!」
 優美に一礼するハインに対して山崎は口の端を持ち上げるようにして粗野に笑い、コートを翻しながら悠々と部屋の外へと歩いていく。ハインは彼が扉の外へ踏み出すのを見届けてから、その後ろへと続いた。
 二人が退室したのを見届け、ビリーはギースへ向き直って一礼する。
 「お先に失礼いたします」
 「うむ」
 主人の返事を受け、ビリーは扉の方へと歩いていく。
 そして、扉の両脇に待機する同僚二人へすれ違いざまに囁いた。
 「あの新人から目を離すんじゃねぇぞ」
 リッパーとホッパーは顔を見合わせ、すぐにビリーの後に続く。
 扉が閉じられた音を最後に、静寂が部屋を包み込んだ。ひとつ息を吐いた後、ギースは椅子から離れて悠々と窓辺へ歩み寄る。
 ガラスを隔てて燦然と輝くサウスタウンの夜景は、まるで黒い布地に宝石を散らしたかのようだ。
 幾度となく様々な者がこの街に足を踏み入れ、我が物にせんと策謀を巡らせた。しかし、終ぞ誰もその野望を掴むことはなかった。
 ー今、この街を見下ろすこの男を除いては。
 「時は満ち、秘伝書の魔物が君臨する...か。だがそれも前座に過ぎん」
 サウスタウンに住まう有象無象を見下しながら、ギース・ハワードは笑みを浮かべた。
 「女狐に蝮...この街の魑魅魍魎を抱き込まんとするその野望、嫌いではないぞ。貴様の用意したこの喜劇、私の退屈を満たすに値するかじっくり見定めるとしよう」

TEAM NAME

──  餓狼MotWチーム  ──

TEAM NUMBER
TEAM VISUAL

サウスタウンのとある一角、ごく普通の安アパートの一室。
 昼下がりの陽光が窓辺から差し込む中、ソファにどっしりと腰掛けてレトロゲームのコントローラーを握り締めるテリー・ボガード、そしてキッチンの掃除を終えてエプロンを洗濯カゴに放り込むロック・ハワードの姿は互いにとってごく普通の休日の光景だった。
 華やかなファンファーレと共にテレビ画面へ“CONGRATULATIONS”の表示が現れ、テリーが思わずガッツポーズをしたのと同時に、彼の背後で使い古されたラックがきしむ音が聞こえた。
 ロックは掴んだジャケットの袖に腕を通しながら、養父へと振り返る。
 「テリー。ちょっと出かけてくる」
 「ん? ガールフレンドとデートか?」
 ご機嫌な笑みのまま振り返ったテリーの冗談にロックは苦笑しながら肩を竦めた。
 「からかうなよ。ちょっとした野暮用だって」
 「そうか。お前なら大丈夫だと思うが、トラブルに巻き込まれないよう気を付けろよ」
 そう言ってニッと笑ったテリーにロックも笑みを返す。彼はロックを子ども扱いしているわけではない。家族としてーたとえ血は繋がっていなくともー大切に思っているからこその言葉だ。そんな養父の存在はロックにとって憧れであり、陽だまりそのものなのである。
 「テリーはアンディさん達と会うんだっけ?」
 「ああ。ジョーからの誘いでな、ついでにパオパオカフェで飯でもどうかってさ」
 テーブルの上に置かれていた家の鍵やスマートフォンを拾い上げながら、ロックは再びテレビへと向き直ったテリーの背中に呼び掛けた。
 「じゃあ夕飯はいらねえな。俺も食って帰ってくるよ」
 返事の代わりにひらひらと振られた手を確認し、ロックは自宅を出た。
 アパートから離れ、昼のサウスタウンのメインストリートを歩きながらロックは今一度スマートフォンに送られてきた一通の電子メールを確認する。
 「トラブルに巻き込まれないよう...か」
 メールの差出人は義賊リーリンナイツーそのリーダーのB.ジェニーという女性からだった。何度か顔を合わせる機会はあったが、彼女の印象は悪人とはほど遠い。だが、善人というわけでも無さそうである。そんな彼女から送られてきたメールのタイトルは至って簡潔だった。
 『KOFに向けてチーム結成のお誘い♡』
 ロックはスマートフォンをパンツのポケットへ押し込むと、ボソッと呟いた。
 「悪いな、テリー」

 ベイエリアにひっそりと佇むそのダイナーは雑誌に取り立てられるほど有名ではないものの、近隣住民やトラック運転手が足繫く通うほどには人気のある店だ。“知る人ぞ知る”という言葉が似合う、年季の入った店の風貌に惹かれるバックパッカーは少なくないものの、店内の端のボックス席にいる男女を取り巻く空気は明らかに気まぐれで入ってきた旅行客のそれではなかった。
 「牙刀さん。あなたと交わした約束は“あなたのパパの足取りと情報の収集”...だったわよねん」
 不機嫌そうに眉間に深いしわを刻み、腕組みをするのは牙刀と呼ばれた拳法家の男。対して陽気な笑顔を崩さず、一方的に喋り続けているのはドレス姿の若い女だ。
 明らかに訳ありな二人組に関わりに行こうとする客や店員はいないものの、同時に好奇心をそそる存在であるのも確かで、客の何人かは新聞を読みながらチラチラと視線を寄越していた。しかし、その視線が癪に障ったのか牙刀がギロリと睨み返してからは、誰もがその好奇心ですら命取りになりかねないと学んで知らんふりを決め込んでいる。
 「...」
 「長いこと待たせちゃったのは悪いと思ってるわよーん? けど、それだけの成果はあるつもり」
 イルカのストラップが付いたUSBメモリを顔の横で振りながら、ブロンドの髪の女性ーB.ジェニーはパチンとウィンクしてみせる。牙刀は席についてから初めて閉じていた瞼を上げ、鋭い視線をそのUSBメモリへと向けた。
 「あなたのパパの情報はちゃーんとこの中に...」
 「さっさと渡せ」
 牙刀が手を伸ばすよりも早く、ジェニーはUSBメモリを持った手を引っ込めた。空振りした牙刀の指が宙を切ると同時に、眉間のしわがますます深くなる。
 「まだ、だ~め!」
 「...何のつもりだ」
 「調査に全面協力するとは言ったけど、情報を無償提供するなんて一言も言ってないわよーん」
 「貴様ッ!」
 サウスタウンのチンピラでさえ裸足で逃げ出すような形相で怒鳴る牙刀に睨まれようと、ジェニーが臆する様子はない。むしろ余裕を崩さず、顔の横でチッチッと指を振ってみせる。
 「暴力なんてノンノン! 心配しなくても、ちゃんとこの情報はあなたに渡すわよ。報酬...としてね」
 「報酬だと?」
 苛立ちよりも怪訝が勝ったのか、牙刀の表情が僅かばかり緩んだことを見逃さず、ジェニーは満面の笑みでゆっくりと頷く。
 「そうそう。あなた“たち”には協力してほしいことがあるのよねん」
 含みのある彼女の言葉に牙刀が何かを言おうと口を動かしたときだった。
 海風で少し錆びた扉が大きな音を立てる。その音にハッとジェニーは顔を上げ、入り口から店内を見回すロック・ハワードに大きく手を振ってみせた。
 「噂をすれば...こっちよーん!」
 声を掛けられたロックはジェニー達がいるボックス席へと視線を向け、何とも言えない表情をした。苦笑とも不信とも取れる顔をしつつ、それでも彼はそちらの方へと歩を進める。ジェニーが奥に詰めて座席を手で叩けばぎこちなく隣に座り、険しい顔の牙刀と笑顔のジェニーを交互に見比べた。
 「メール見たんだけど、つまり...ここに居るのがチームメンバーってことか?」
 「チームだと...? 貴様ー」
 「そうそう。ハンサムボーイは飲み込みが早くて助かるわね~!」
 牙刀が怒気を含んだ声を漏らす前にジェニーが陽気に声を上げる。そして、彼女はチラリと牙刀を見た。その視線は明らかに「詮索されたくないのなら事を荒立てないで」と訴えていたが、それは同時にー無謀にもー牙刀という男に無言の圧力と強制をかけることを意味している。彼女のうなじに冷や汗が伝っていたのをこの場にいる誰が気づいただろうか。
 しばらく殺意すら籠った視線でジェニーを睨みつけていた牙刀だったが、諦めたように鼻を鳴らした。
 安堵のため息を漏らしてすぐ、ジェニーは食器で散らかったテーブルの上をてきぱきと片付け始める。そして、立派な封蠟が施された封筒をその上に置く。庶民的なダイナーには場違いな雰囲気をまとった三通の封筒に自然と視線が集った。
 「じゃーん! これが招待状ねーん」
 ジェニーが言葉とともに腕を広げるのと、牙刀が机の上の招待状を一通拾い上げたのはほぼ同時だった。何も言わずに立ち上がった牙刀はそのまま招待状を懐にしまうと、ロックとジェニーをギロリと睨み下ろした。
 「今はその口車に乗ってやろう...金も欲しければくれてやる。だが、もし取引を有耶無耶にするのであれば貴様の命は無いものと思え...!」
 ギリリと拳を握り締めながらジェニーにそう吐き捨てると、彼は苛立ちも隠さずに荒い足取りでダイナーの出入口へと大股で進んでいく。「約束は守るわよーん!」と彼の背中に笑顔で手を振るジェニーは、訝しむような視線を送ってくるロックへと振り返った。
 「彼、気難しいけど腕は確かよん」
 「気難しいって問題か? メンバー間でのトラブルはごめんだぜ?」
 「それは大丈夫! ちゃーんと話はついてるから、あなたは気にしないで!」
 彼女のあっけらかんとした返事にロックはますます不安そうに眉を顰める。
 「ま、でも彼ってあんな感じでしょ? だから最初はグリちゃんを誘おうとしたのよねーん。チョロ...じゃなくて親切だし、ムードメーカーだし。けど、事務所に連絡しても移籍しちゃったとか何とかで連絡つかなくてー。そこで目に留まったのがあなたってワケよん、ロック・ハワード♪」
 朗々と語るジェニーを横目で眺めながら、ロックは机に届けられたばかりのコーヒーを口に運んだ。ジェニーの言葉が一区切りついたあたりでマグカップを机に置き、彼は怪訝そうに訊ねる。
 「そこも気になってるんだけど、何で俺なんだ? 俺が応じる確証なんてあんたには無いはずだし、もっと誘いやすい奴もいただろ」
 質問されるとは思っていなかったのか、ジェニーは目を丸くしてロックの顔をまじまじと見つめる。その視線に居心地悪そうにロックが顔を逸らすと、彼女は先程と同じように明るく笑ってみせた。
 「んー、いい質問ねん。まず一つ目、これは簡単。あなたがメンバーなら勝算はバッチリだって、女のカンが告げたから! で、二つ目だけど...絶対に断らないって確信、あったわよーん? だって、あのテリー・ボガードと晴れ舞台の上で戦える機会、あなたが見逃すはずないもの」
 今度はロックが目を丸くする番だった。しかし、ここまできれいに図星を刺されると笑えてくるもので、ロックは気の抜けたような笑い声を漏らした。そんな彼の様子にジェニーもにんまりと笑う。
 「あなたも前回のKOFでのハプニングについて知ってるでしょ? 私はね、今回も何か起きるんじゃないかって睨んでるのよーん」
 「それも勘ってやつか?」
 「そう! 退屈しなさそうでしょ? あなたはテリー・ボガードと戦える。私はKOFをめいっぱい楽しむことができる。ウィンウィンの関係ってわけ♪」
 ジェニーはそこまで言うと机の上の封筒を拾い上げ、ロックの手元へと差し出す。視線が合えば彼女はいたずらっぽくウィンクし、空いた片手で肩にかかった自身の髪を払いのけた。
 「ってことで、今日から私達はチームねん! よろしく、ロック・ハワード」
 ロックは封筒をその手で受け取り、彼女へ爽やかに笑い返した。
 「...ああ」

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イスラは物心ついた時から、その児童養護施設の門の内側で生活をしていた。
 孤児、捨て子、様々な事情はあるものの、この施設に入っている子供達には外での居場所が無い。施設の門の前に捨てられていたという彼女もまたその一員だ。しかし、まだ幼い子供ではあったが、イスラはなぜ自分が捨てられたのか何となくその理由を察知していた。
 イスラには他の子供とは違う“何か”があった。
 目の前にある物を動かしたいとイメージすれば、そのイメージ通りに物が動くし、小さなものであれば宙に浮かせることだってできるし、念じるだけで触れずに壊せる。目に見えないその“何か”はいつも彼女の周りに潜んで、イスラの意思を汲み取ってくれるのだ。寝つきの悪い夜は頭をなでてくれたし、転びそうになれば身体を支えてくれる。
 自身だけ触れられるその見えない“何か”を、イスラは“アマンダ”と名付けた。
 だが、成長するにつれてその“何か”を持っている自分だけがおかしくて、持っていない周囲が普通なのだと彼女は理解した。そして、それが原因で両親が自分を捨てたのだと気付いてしまうほどには、彼女は賢しかった。
 誰に何を言われるまでもなく、イスラは“アマンダ”を秘密にすることを選んだ。イスラの見えない友達は幼い子供故の空想癖として周囲の記憶の中で風化していき、イスラが七歳になる頃には誰もが忘れ去った。

 「お前達よりもっと不幸な子供は世の中にごまんと居るんだ」
 「ここで過ごせる分、ありがたいと思いなさい」
 朝礼で集まった子供達に対し、大人達はいつも同じ言葉を吐き捨てる。
 灰色の塀で取り囲まれたこの施設では、大人の言うことに従う子供はいい子で、言うことをきかない子供は悪い子だ。大人の期待通りに育った子供が優秀で、そうでない子供は劣等生の烙印を押される。
 優秀な子供達は大人達が紹介する働き口に就職できるが、そうでない子供は一定の年齢を迎えると門の外に無一文で放り出されるー大人達が語った言葉がどこまで真実かは分からないが、その脅し文句を聞くたびに子供達は少しでも優秀ないい子になるために決意を改めた。
 子供は大人が決めた時間割に沿って授業を受け、体を動かし、食事をして寝るという淡々とした日々を送るほかなかった。共用の談話室に置かれていたテレビで施設の偉い大人のメッセージは聞けてもその画面に娯楽映画やアニメが映ることは決して無かったし、塀の外から弾みで飛び込んできたボール一つすら大人は子供達から没収した。娯楽は人を怠惰にする毒だ、というのが大人の口癖だった。
 そんな生活の中、十二歳の夏、イスラは自分の“趣味”を見つけた。
 きっかけは年下の少年に犬の絵を描いてやったことだった。写真を思い返しながら描いた稚拙な犬の絵を見て大喜びする少年に気を良くして、次は猫、魚、鳥と色んなものを描いてみせた。動物から花、部屋の小物、みんなの似顔絵ー気づけばイスラは絵を描くことが好きになっていた。
 彼女は大人の目を盗み、余った紙の裏、くすねたシーツの上、棚の裏の壁面と、色んな場所に色んな絵を描き続けた。時には“アマンダ”の力をこっそりと借りることもあった。
 しかし、ある日、施設の職員の一人がイスラの絵に気づいた。日の出前にも関わらず子供達を叩き起こし、引き出しの中、ベッドの裏までひっくり返して彼女の描いた全ての絵を探し出した。イスラがどれだけ「やめて」と叫んでも、職員達は聞く耳を持たず、子供達はみな青ざめた顔で自分の持っていた絵を次々と大人に言われるがまま火にくべていった。
 「こんなもの、お前達には必要ないものだ」
 庭に焚かれた炎の前でその職員は冷たい言葉を浴びせてきた。
 「お前達に必要なのは趣味でも娯楽でもなく勉強。常に成績優秀で大人を困らせない良い子であることだ。そうだろう? ええ? 返事は?」
 「...」
 イスラが怯えで身を強張らせようとも、職員の男は関係ないと言わんばかりに手に持った鞭を威圧的に鳴らす。
 「黙ってれば許されるとでも思ってるのか? 恵まれないお前をここまで育ててやったのは誰だ!」
 黙り込むイスラを睨み下ろしながら、彼は鞭のグリップを握り締めてその腕を振り上げた。
 振り下ろされた鞭が眼前に迫ったその刹那、今まで抑え、我慢し、溜め込んできた感情がイスラの胸の奥から沸き上がった。それは普通の子供ではないから自分を捨てた両親、子供をいいように従えようとする横暴な大人達、彼らの自分に対する理不尽な振る舞いへの激しい憎悪だった。
 「...ざっけンな...」
 イスラが奥歯を噛みしめたと同時に、“アマンダ”が空中で鞭の先端を掴む。見えない何かに鞭を引っ張られた職員はそのまま姿勢を崩して転倒し、イスラの姿を驚愕の表情で見上げた。
 彼女の感情に呼応するかのように、今まで見えなかった“アマンダ”の姿がゆっくりと形どられていく。鮮やかな紫色に縁どられた“手”が宙に浮かんでいる姿をその場に居る誰もが見つめていた。
 「な、何だそれは...!?」
 震える声を絞り出しながら、職員の男は“アマンダ”を指差す。彼のものだけではない、遠巻きに見ていた他の大人達、そして同じ部屋で過ごしたはずの子供達ですら奇異の視線でイスラと“アマンダ”を貫いている。だが、そんな事など気にならないほどイスラは怒っていた。
 「カワイソウだとか、フツーだとか、イラナイとか、テメーらの都合だけで勝手に決めやがって...アタシらのことを何だと思ってンだ!」
 イスラが一歩踏み出せば、彼は尻を引きずって逃げようとする。そんな男の脇をすばやくアマンダが掴み上げ、宙に吊し上げた。灰色の塀を背に、空中でみっともなく足をバタバタとさせるその姿をギロリと睨み上げ、イスラはゆっくりと腰を下ろし、脚に力を込めた。
 「テメーらが言う“いいオトナ”になるくらいなら...」
 力強く地面を蹴り飛ばし、イスラはその足を男の腹めがけて突き出した。
 「アタシは一生コドモでいいッ!」
 男のみぞおちに深く踵が食い込む。その勢いを利用し、イスラは男の身体を駆け上がった。空中に高く飛び出したイスラは灰色の塀の向こう側の景色を始めて目にした。
 山の向こうから射す朝日が空に淡いピンクのグラデーションを描き、色とりどり鮮やかな屋根がその光を受けてキラキラと輝いている。どこまでも果てしなく広がる海、極彩色のその世界にイスラは心を奪われた。
 職員の男が投げ捨てられる音が背後から聞こえたかと思えば、イスラの前に飛んできた“アマンダ”がその街並みを指差す。一緒に行こうー声は無くとも、友人がそう語り掛けてくれていることは手に取るように分かった。イスラは“アマンダ”へ微笑みかけ、小さく頷いた。
 「うん、行こう...アマンダ!」
 その朝、イスラは一対の“手”と共に、灰色の塀に覆われたその児童養護施設から飛び出した。

 十二歳の夏、施設を飛び出したあの日からイスラはアマンダと共に平和に暮らしている。
 身寄りも頼れる相手も居なかったが、案外どうにかなるもので、今は市場や料理屋でバイトをしつつ稼いだ金で画材を買っては街に作品を描いている。
 街で絵を描いているイスラのことは瞬く間に子供の間で噂になり、物珍しそうに見に来た同世代の少年少女達ともすっかり打ち解けた。友人の一人がSNSでの広報を提案してくれてからはアーティストとしての活動も軌道に乗り始め、今では画材を買う金にもそこまで困らない。
 一度、一緒に暮らしていた子供達が気になってあの児童養護施設の灰色の塀に近付いたことがある。施設の大人達はイスラを連れ戻そうとはしなかったが、子供達に美味しいお菓子をと言って差し出した金を横柄に掴み取ってそれきり音沙汰がない。恐らく、塀の中の子供達には届かなかっただろう。
 施設から出たイスラのことを周囲の大人は不良少女だと後ろ指をさすが、気のいい同年代の友人達はイスラの趣味も、アマンダのことも馬鹿にはせず、むしろそれが彼女の長所であり個性であると捉えてくれる。彼らにとってイスラの絵は自由の象徴で、彼女の絵の下が子供だけの居心地のいい溜まり場なのだ。
 「イスラとアマンダ、こんなにイケてんだからさ、他の国でも活動してみたら?」
 描き上げたばかりのグラフィティの下で語らう友人たちの言葉に、イスラは照れくさそうに笑う。
 「まあ、確かに海外で仕事はしてみてーけどさぁ」
 「何かのイベントに参加してコネ作るとか、知名度上げてオファー待ちとか?」
 「そーいえば、イスラとアマンダってケンカも強いじゃん? こういうのに出てみたら?」
 「ん? K、O、F...?」
 友人が突き出したスマートフォンに映っているのは格闘大会の中継映像だった。イスラは怪訝そうに顔をしかめてそれを覗き込みーそこに映った少年の姿に目を見張った。
 ヘッドフォンを耳に掛け、洗練された中国拳法で相手を圧倒するその少年。彼の腕に時折重なる巨大なその“手”には見覚えがある。色も大きさも違うが、これはアマンダと同じものだとイスラは直感した。
 「こいつのコレ、イスラとアマンダみたいじゃん」
 「アマンダとは別でしょ? アマンダより大きいじゃない」
 「うっわ、すご...地面抉れてない? 破壊力やっべー」
 「シュンエイって子らしいぜ。俺達と同年代なのにスゲーな」
 楽しそうに眺め、口々に感想を述べる友人達の声がイスラの耳の中で反響する。
 画面の向こう側で相手を倒すその少年の姿。駆け寄る友人の男の子、少年を気遣う様子の優しそうな老人。年上の大人達に肩を叩かれ、髪をワシワシと掻きまわされ、迷惑そうなリアクションをしつつも満更でもない表情で顔を上げるその少年は幸福そうに見えた。
 ー恵まれてンじゃん、アタシと違って。
 一瞬でも脳裏によぎったその感想すら気に入らず、イスラはわざと大きな音を立てて友人達から離れた。
 「...何がすげーンだよ、そんなヤツ。派手なだけだろ。アタシとアマンダの方が強ェし」
 友人達は一瞬顔を見合わせ、「だよな!」と明るく笑う。そして彼らはいつもの調子で顔を突き合わせ、親や学校での愚痴や文句を語り始めた。
 まだまっさらな壁へと向かい合いながら、イスラは帽子のつばをグッと下げる。ガスマスクで覆った口元が固く強張っていることに誰も気づきはしなかった。
 「...いつかぜってー、ブッ飛ばす」

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前後左右も分からなくなるような闇の中にシュンエイは放り出されていた。
 「ここは...何だ? どこだ?」
 シュンエイの声は闇の中に吸い込まれ、響く前に消えていく。空間を探ろうと腕を伸ばせば、水の中に浮かんでいるかのようにあらぬ方向へ身体が漂うばかりだ。
 黒、黒、黒ー光は一遍も差さないくせに、自身の身体だけははっきり見える。だが、それ以外のものは何も見えない。分からない。
 「明天? じいさん?」
 口から声を出そうと、返答はない。耳が痛くなりそうな静寂の中で、孤独と恐怖が加速していく。焦ってもがいても身体がふわふわと回転する感覚しか無い。
 息が乱れ、心臓が早鐘のように鳴る。シュンエイの中の孤独と恐怖が限界を迎え、感情が迸るままに絶叫しようと口を開きかけたその時だった。
 ピシッ。
 闇の中に音が鳴った。気づけば、シュンエイの目の前に“亀裂”が現れていた。
 亀裂はミシミシと音を立てながら、闇の上を広がっていく。さながら蜘蛛の巣のように走る白い亀裂に目を奪われていると、中心がパキンと崩れ落ちた。
 「...?」
 ひとかけらを皮切りに、亀裂の中央がパキンパキンと崩れ落ちていく。
 その奥から顔を覗かせたのは、無数の光が瞬く世界。そこはまるで銀河のようでありながら、この世の理から外れた異質さを感じる空間だった。  
キラキラと輝く向こう側の世界。その光景に、シュンエイはなぜか懐かしさを感じた。その光景に思わず手を伸ばすと、不意に耳鳴りが彼を襲った。キイキイミシミシと響く耳鳴りにシュンエイは顔をしかめるが、しばらくするとそれが“声”であることに気付く。何と言っているのか聞き分けようとシュンエイはその音に集中し、確かにそのメッセージを受け取った。
 「ースベテヲ、ハカイセヨ」
 “声”の意図を理解した瞬間、シュンエイの全身に悪寒が走った。胸の内、シュンエイの深い場所で強い力がうねるのを感じた。孤独、恐怖、絶望、悲しみ、怒りー感極まった時に突き動かす感情さながらの、恐ろしい衝動だった。  「や...やめろ...!」
 耳を塞ごうと上げた手が空を切る。
 「オマエハ、ハカイノチカラ。イカレ。カナシメ。オソレロ。キョウフセヨ。スベテヲ、ハカイセヨ」
 亀裂の向こう側に何かが見える。球状のようにも、箱状のようにも、人型のようにも見える何かが。
 「うるさい、黙れ...!」
 「ハカイセヨ」
 「が、あ...ァ...!」
 “声”がガンガンと脳内を揺さぶる。胸の内で衝動が暴れる。どれだけもがこうとも、この空間において彼は孤独だった。その事実がさらに恐怖を煽り、怯えて小さくなった心は衝動に覆いつくされる。
 苦痛にシュンエイが呑み込まれようとしたその刹那、亀裂の内側が輝いた。そして、赤と青の巨大な“手”が現れ、シュンエイの身体を大きく突き飛ばすー
 「ーはっ! はぁ...はぁ...」
 シュンエイが目を見開けば、見慣れた天井が視界に飛び込む。荒い呼吸を落ちつけながら身を起こすと、心配そうな顔をした明天君と目が合った。
 「シュンちゃん...大丈夫? 昨日よりもひどいうなされかただったよ」
 不安そうに枕を抱きしめる明天君の言葉を聞き、シュンエイはぼんやりと手元を見下ろした。

 物心ついた時には既に、シュンエイはこの悪夢を見るようになっていた。
 最初は暗闇の中を永遠に漂うだけの夢だった。ただそれだけ、と言えば聞こえはいいが、そこで感じる恐怖や孤独感は幼いシュンエイの心をひどく揺さぶった。悪夢で感じた不安を現実にまで引きずれば、力は暴走しシュンエイの手には負えなくなる。そんなシュンエイに「自身の力を抑え込むイメージをしやすいように」とヘッドフォンや包帯を与えてくれたのは恩師タン・フー・ルーだった。
 しかし、ある時から悪夢の内容が変化するようになった。闇の中に亀裂が入ったのだ。亀裂は日を追うごとに広がっていったが、タンの教えやイメージによる感情コントロールの成果、そして何よりシュンエイ自身が成長したのもあってか日常に支障をきたすようなことはなかった。
 少なくも、ここまで夜中にうなされるようなことも。
 明天君曰く、シュンエイがうなされるようになったのはつい最近ー前回の大会で謎の化け物と対面した翌日かららしい。
 シュンエイが夢の光景で覚えているのは亀裂が広がり切ったところまでだ。その先の出来事は目覚めると全て忘れてしまう。そのため、悪夢の内容が具体的にどういうものなのか、あの怪物と関わりがあるのかさえ明天君やタン・フー・ルーに説明することができない。
 確実に言えるのは、ひどい苦痛を感じること。どうやっても同じ夢を繰り返し見てしまうことだけだ。
 「KOFに出て、少しは成長できたつもりだったけど...この調子じゃあな...」
 朝の鍛錬を終え、山道の中腹に設けられた水飲み場で顔を洗いながらシュンエイがそう呟くと、明天君は首をふるふると横に振った。
 「弱気になっちゃだめだよ~、シュンちゃん。それに、もしシュンちゃんが昔みたいに暴走しちゃっても、僕と先生で...ううん、僕たちだけじゃなくて、テリーさんやアンディさん、京さんもいるし~...」
 そう言いながら明天君は指を折り畳み、途中で数えるのをやめて大きく腕を広げる。
 「みんなで何とかするから、安心して!」
 シュンエイはしばらく親友の顔を見つめ、ふっと気の抜けたように笑う。
 「そりゃそうか。ありがとな、明天」
 「えへへ~。楽しみだね」
 拳をこつんとぶつけ合い、二人の少年は再び階段を上り始めた。薄雲が周囲の山々にかかり、朝焼けが反射して淡い桃色に色づいていく。
 「まあ、暴走する気なんてさらさらねぇけどさ」
 「わかってるよ~。そのためにいっぱい修行したもんね、シュンちゃん」
 涼やかな山の空気の中を明るい少年たちの声がこだました。

TEAM NAME

──  アッシュチーム  ──

TEAM NUMBER
TEAM VISUAL

ー思えば、その手を取ったことが全ての始まりだった。
 物心ついた時には親もなく、厳しい砂漠の街で誰の手も借りず生きてきた。影の中で息を殺し、考えることは明日へ命を繋げることだけ。誰の視界にも留まらず、ただひっそりと息をしていた。
 そんな幼少のククリにとって、彼女は人生で初めて己と目が合った存在であり、“運命”そのものだった。
 「これからは私の元で学びなさい。さあ、おいで」
 差し出された手を握り返したその時から、ククリは彼女の“弟子”になった。

 ククリの師はアフリカの砂漠の奥地に住まう隠者だった。人々が忘却した伝承の唯一の語り部であり、大地の精霊の言葉に耳を傾け、時に人々に助言を行うシャーマンとしての役割を担っている。彼女の弟子としての生活は贅沢とは程遠いものの、命の危険も明日の食事も心配しなくてよいような穏やかなものだった。
 ただ、師の眠くなるような授業だけは苦手だった。分岐点で無数に枝分かれする可能性の宇宙、枝分かれした宇宙を巡り均衡を保つ“魂の坩堝”、破壊と創造を司る“母神”ーククリにしてみれば伝承の内容はどれも眉唾物でしかなく、それを熱心に語る師の様子に辟易していた。瞑想の時間にしても、師が語る“大地の声”など聞こえた試しがなかった。
 しまいに「こんなのに何の意味があるんだ」と文句を言えば、彼女は決まって穏やかに笑いながら同じ言葉を繰り返す。
 「貴方もいつか運命を紐解くことができるわ」
 そんな生活が終わりを迎えたのは、ククリが弟子入りして七年も過ぎ、すっかり背丈も伸びた頃だった。
 内側から何かが突き破ってくるような衝動に襲われた直後、ククリは砂の力を発現した。発現しただけならばどれだけ良かっただろうか。砂嵐を巻き起こし、見境なく周囲から潤いを奪っていくその力は彼の意思に反して暴走を続けた。運悪く街へ出かけていた師が戻ってきたときには力の暴走も取り返しがつかない状態になっており、ククリは無我夢中で彼女に助けを求めた。
 師は決意の籠った目で砂嵐の中に飛び込み、己の弟子を救ったーその命と引き換えに。
 その時の記憶は曖昧で、ククリに思い出せるのは自己満足に塗れた実に胸糞悪い彼女の安らかな笑み、一昼夜かけて掘った墓穴の空洞だけだった。
 しかるべき手順で師の亡骸を埋葬し終えた夜、ククリの脳裏にふといつかの授業で聞いた言葉が鮮明に甦った。
 「“魂の坩堝”はあらゆる宇宙に繋がっており、多元宇宙からあらゆる可能性を収束しているというわ。しかし、それらは幻影としてしか感知できず、限られた才能の持ち主しか干渉はできない。私はこの才能を持つ者を“アンプスペクター”と呼んでいるわ。本来“魂の坩堝”や幻影はこちら側に現れることはないけれど、時空の歪み、アンプスペクターとの共鳴...そういったものを呼び水にして、こちら側へ姿を現すことがある」
 弾かれるように家の書庫へと駆け込み、記憶を頼りにククリは必死で文献を探した。
 机の上に巻物が幾重にも重なる。積み上げられた石板の重みに机の脚が軋もうが、ククリは無視して次々と文献を取り出しては机の上に放り投げた。
 「肝に銘じておきなさい。もし“魂の坩堝”がこの世に現れたら、悪しき者を近づけてはいけない。その力はあまりにも危険なの...理論上、死者を甦らせることさえできる」
 彼は乱暴に広げた書の一節を目にしてぴたりとその手を止める。
 そこに記されている一文を食い入るように見つめ、ククリはゆっくりと師の言葉を反芻した。
 「理論上...死者を甦らせることさえできる...」
 皮肉なことに、今まで露ほども信じていなかった師匠の言葉だけが、ククリに残された可能性だったのだ。
 それからは一秒のロスも許さず、目的のためにただひた走った。必要な情報を必死でかき集め、ようやく辿り着いたその終着点こそアントノフが取り仕切るTHE KING OF FIGHTERS...のはず、だった。
 ククリが見つけたのは、“魂の坩堝”から復活したアッシュ・クリムゾンのみ。そこに居るはずの師の姿は無かった。

 南仏のとある街中、大通りへ面したオープンテラス。
 そこには身振り手振りを交えて早口でまくし立てる男がいた。
 「今日に至るまでの血が滲むような努力も虚しく、残されたのは二束三文にもならない文献の山とアッシュ・クリムゾンのみ。幼かった俺に道を示しその命を賭して守ってくれた優しい師匠は予測落下地点のどこにも居らず、かくして俺は孤独に取り残されたのであった...と」
 彼のフードを目深に被ったそのいかにも怪しげな風貌、そしてお世辞にも品があるとは言えない言葉遣いは華やかで上品な店の雰囲気にはあまりにもそぐわない。穏やかな午後のBGMとして耳に流れ込んでくる物語に耐えきれなくなった隣席の客は一人、また一人と店内の席へと引っ込んでいった。
 そうして物語が終わった頃、テラスに残っているのは彼の向かいに座る少年と、その隣で眉を顰めながらも辛抱強く耳を傾けている上流階級の女性のたった二人だけとなってしまっていて、そんな二人にフードの男ーククリは大仰に腕を広げてみせた。
 「ー以上、即興で考えた全世界が号泣すること請け合いの悲しく切ない俺様の物語だ。どうだ? 五秒で考えたにしては中々のクオリティ、我ながらよくできた内容だ。ハンケチが欲しければ貸してやろうか」
 「アハハッ、結構面白かったヨ~♪退屈しのぎには丁度いい感じでサ」
 「はぁ...」
 食べさしのザッハトルテには手を付けず、スマートフォンを片手にへらへらと笑うアッシュ・クリムゾンとは対照的に、エリザベート・ブラントルシュは眉間を指で押さえながら深い溜息をつく。
 前回の大会が始まる前、喪失感に打ちひしがれていたエリザベートに接触し、アッシュの記憶を思い出させたのはここに居るククリだった。彼はアッシュを復活させることと引き換えにブラントルシュ家の協力を求め、エリザベートは迷うことなく彼との取引を受け入れた。その結果、アッシュはこうして彼女の隣で何事もなかったかのように過ごしているのだが...。
 「何だその溜息は。貴様が話せと駄々をこねるから俺は親切にも感動できる過去の記憶を捏造したんだぞ」
 ククリが包帯に覆われた指をエリザベートへ突きつける。テーブルの上に砂がパラパラと落ち、それを見たアッシュが無言でザッハトルテの皿を手元に寄せた。
 「あなたは私とアッシュの恩人。その大恩に報いるためなら、どこへなりとも共に向かう所存です」
 エリザベートは険しい表情のまま低い声で告げ、自身に突きつけられた指を視界から外すように目を伏せた。
 「ただ、なぜ私達にその手を差し伸べたのか...あなた自身の事情が気に掛かっただけのこと。どのような理由があれ、私もアッシュもあなたの事情を茶化すつもりはありません。そこまでふざけることも無いでしょうに」
 憮然とした面持ちで手元のカップを見下ろすエリザベートと、堂々とした居ずまいを崩さないククリとを交互に見た後、アッシュは面白がるように口角を上げた。
 「まあいいじゃん、ベティ。ボクらはククリんに力を貸して、ククリんはKOFで目的を果たす...でしょ?」
 「おいクソガキ、勝手にセンス皆無の呼び名を付けるな。某ちんちくりんを思い出して不愉快だ」
 「ああほら、ちょうど特集やってるネ」
 ククリの抗議を無視し、アッシュはテーブルの上にスマートフォンを置いた。
 報道番組が映し出されている画面の中に『THE KING OF FIGHTERS』の文字を見ればククリは口を閉ざし、エリザベートも気持ちを切り替えるかのように深呼吸をする。
 「続きまして『KOF』に参加される選手への独占インタビュー! こちらの映像をご覧ください」
 映像がスタジオから街頭へと切り替わり、インタビュアーと対面している一人の女性の姿が画面に映った。
 「ドロレス選手はKOFに初参加とのことですが、どのようなお気持ちでー」
 金のフレーム眼鏡を押し上げながらカメラに向き合う彼女の姿を見て、ククリの口元がわずかに強張る。
 静かに立ち上がったククリに二人が気づいたのは、彼が普段よりも低い声で言葉を発したときだった。
 「...俺様は急用を思い出した。と、いうわけで一足お先に失礼させてもらう」
 ククリはそう二人へ言い残し、コートを翻して足早に店の外へと歩いていく。自分本位な彼の行動に眦を吊り上げ、エリザベートも続いて席を立った。
 「待ちなさい! まだ話は終わっていません、ククリ!」
 石畳にヒールを鳴らしながら彼の背を追うエリザベートの姿を横目で追いながら、アッシュはちらりと手元に鎮座するケーキの残りを見下ろした。
 「さっきの話が“捏造”...ねぇ」
 銀のフォークをその表面に突き立て、アッシュ・クリムゾンは静かに笑う。
 「そういうコトにしといてあげるヨ♪」
 誰へともなく低い声で囁くと、彼は最後の一欠けらを口に含んだ。

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──  K'チーム  ──

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ー噓つき! クーラぜったいに許さないんだから! K'もおじさんも、大っ嫌い!
 泣きながら自分の部屋に飛び込んでいったクーラに対し、「明日になれば機嫌も直る」と無責任に言ったのはどちらだっただろうか。何にせよ、K'とマキシマは選択を誤った。NESTSの残党狩りでどれだけ疲弊していようと面倒くさがらず、すぐその場で彼女に謝罪すべきだったのだ。
 しかし、夜が明けた時には遅く、クーラはお気に入りのリュックサックと共に姿を消してしまっていた。

 ひと気のない路地裏の奥、まるで隠れるように佇む建物の一室。各地を転々とするK'達のアジトの一つであるその中に彼らは居る。雑多な機材が積まれたリビングとも言い難いその部屋の中央、ウィップは険しい表情のままテーブルの上に写真を並べる。
 「家出したクーラの足跡が掴めたわ...状況は全く好ましくないけどね」
 ローテーブルを挟んだ向かい、ソファに並んで座っているK'とマキシマは彼女の刺々しい視線に晒されながら、写真に目を落とした。
 そこに写っているのはクーラの腕を掴んでいる青髪の青年と、それを面白がるように笑っている銀髪の女だった。青年の目元はゴーグルに隠されているものの、友好的とは言えない態度でクーラを見下ろしている。
 マキシマは困ったように短い溜息を吐き、K'は苛立たしげに舌打ちをした。
 「NESTSの壊滅以降、目立った動きもなく潜伏していたと思えば...今こうしてアンヘルと組んでクーラを誘拐し、KOFにエントリーしている。残党と繋がっている線は薄いけれど、看過できない事態なのは確かだわ」
 きりりと眉を吊り上げ、ウィップは二人へ言い放つ。
 「今回アナタ達にはこの男ー“クローネン・マクドガル”への接触と捕縛、そしてクーラ奪還の任務についてもらうわ。つまり、私と共にKOFに出場してもらうってことよ」
 「...了解、異論はねぇぜ。今回に関しちゃあな...」
 写真の上に重ねるようにして彼女が置いたのは『THE KING OF FIGHTERS』の招待状だった。ウィップの目にはありありと「断る理由はないはずよね」という意思が見て取れる。そんな彼女に対してマキシマは降参するように肩を下げたが、K'だけは面白くなさそうにそっぽを向いた。
 「あいつが勝手に飛び出したんだろ。何でわざわざ迎えに行ってやらなきゃなんねぇんだ」
 彼の発言にマキシマは苦笑を浮かべ、ウィップは呆れたように溜息を吐く。
 「おいおい相棒、そりゃ流石に通らんぜ。嬢ちゃんが家出しちまったのは俺達の責任なんだからよ」
 「まったく、アナタね...」
 「あの野郎がアイツを攫ったのも、わざわざKOFに出るつもりなのも...全部ただの挑発にしか思えねぇ。下らねぇ喧嘩をわざわざ買ってやる趣味なんてねぇよ」
 そこまで言うとK'は腕組みをし、その口を堅く引き結んだ。ただの苛立ちだけではない、僅かな警戒を含んだ声色にマキシマとウィップも同意するように頷く。
 「確かにその線も捨てきれんだろうし、正直俺としてもお前と同意見だよ。ただ、もし奴らの目的が俺達をおびき出すことだったとして、目当ての人物が最後まで現れなかったら癇癪を起こして大暴れしかねん気がしてな」
 こめかみを指で叩きながら、マキシマは眉を顰めた。彼の言わんとしていることにK'やウィップには心当たりがある。崩壊する建物、空に響く二人分の歓声ー随分と昔の出来事ではあるが、しかし、彼らの中に鮮明に残っている記憶のひと欠片が思い起こされた。
 ウィップは苦々しげに眉間を指で押さえ、唸るように言った。
 「そうね。それに、今回は前の時とワケが違う。一般の観客や傍にいるクーラにも危険が及ぶ可能性がある以上、彼らの機嫌を損ねるわけにはいかないわ」
 「...」
 クーラの名前を聞き、僅かにK'の頬が強張ったのを目聡くも二人は見逃さなかった。無言のまま腕組みをする彼の肩をマキシマは軽く叩き、ウィップは諭すように声を掛ける。
 「分かってるんだろ、相棒?」
 「罠だと分かっていても行くしかないのよ」
 「チッ...」
 その舌打ちが諦めの意だということは、二人には容易に伝わった。
 ウィップは肩の力を抜き、満足そうに机の上の招待状を拾い上げる。
 「手続きは私の方で済ませておくわ。クーラの足跡について、また何かあれば連絡するから」
 彼女はソファから立ち上がり、ぐるりと部屋を見渡してから二人へ言った。
 「それと...この部屋、もう少し荷物を整理した方がいいわね。クーラが怪我したら大変だわ。それじゃあ」
 玄関へと歩いていく彼女の背を見送るマキシマの隣で、K'は小さな悪態をつく。そんな相棒を横目で見た後、マキシマはゆっくりと立ち上がった。
 「さてと、お姫様を迎えに行く前にたんまりとアイスを用意しなきゃな」
 「...自分が食いてえだけじゃねぇのかよ」
 キッチンに入って冷凍庫の中身を確認するマキシマへ呆れた視線を寄越しつつ、K'もまたソファから立ち上がる。彼はふと、机に残されたクローネン・マクドガルの写真に気づき、片手で摘まみ上げる。
 「厄介事を持ち込みやがって」
 鋼のグローブを自身のベルトのバックルに打ち付け、指先に灯した炎を写真に押し付ける。最後の一辺が灰になるまで、K'は肉食獣さながらの視線で写真を睨み続けていた。

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──  クローネンチーム  ──

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兵士の手の内にあるデバイスには地元の人間も近寄らないような廃墟の空撮映像が表示されていた。
 撮影されているのは雑草や木の根で不自然に盛り上がったアスファルトの道、その先に放置されているのはツタに覆われた廃屋だ。銀髪の若い女が小脇に買い物袋を抱きながら立て付けの悪い扉をノックすると、中からゆらりと一人のゴーグルをかけた青年が姿を現す。
 デバイスを覗き込んでいた兵士はハッと息を呑み、押し殺した声で隣の兵士へと声を掛けた。
 「この男が例の?」
 「ああ。クーラ・ダイアモンドの誘拐犯だ」
 そのとき、映像の中の青年がふと顔を上げ、ゴーグル越しに“こちら”を見た。
 青年は右手を掲げ、その掌を映像越しの兵士達へと向けー
 「おい、もしかして気付かれ...」
 片割れの兵士がそう呟いた時には既に遅かった。激しい炎がスクリーンを覆った刹那、映像はざらついたノイズへと化した。偵察用ドローンが壊されたのだという結論に至ったのは、彼らがノイズを眺めて五秒が経過した後だった。

 廃屋の扉を乱暴に閉じ、青年は近くのソファを勢い良く蹴りつける。銀髪の女ーアンヘルは彼の癇癪に動じる事もなく、買い物袋と焼け焦げたドローンの部品をテーブルの上に置いた。
 「虫みてぇにウジャウジャ湧きやがって! 鬱陶しい奴らだぜ」
 「ごめんごめん。尾行されてるなんて思ってなくてさー。一応拾っておいたよ、コレ」
 「ンなゴミ、拾ってどうするよ...たくっ」
 少しも反省していない様子で返答したアンヘルを睨みつけながら、青年は机の上のドローンの一部を拾い上げる。アンヘルは携帯食料のパッケージに被った煤を手で軽く払うと、突き刺すような視線をものともせず「うーん」と伸びをしながら訪ねた。
 「足ついちゃったかもね。そろそろここも引き払うかにゃ?」
 「チッ...。どうもこうも、そうするしかねェだろ...」
 青年は苛立ち混じりにドローンの一部を背後へ投げ捨てる。
 弧を描いて落ちたプロペラが乾いた音を立てるのと、古びた冷蔵庫の戸が開く音が響いたのは、ほぼ同時だった。
 「あっ! クーラのアイス、もう無くなってる!」
 氷の欠片ひとつ落ちていない寂しい空洞を眺めているクーラ・ダイアモンドの背後へ大股で歩み寄り、青年は苛立ちを隠そうともせず呼び掛けた。
 「おい、クソガキ。ここはもう捨てる。大人しくついて来やがれ」
 刺々しく威圧的な青年の声に一瞬ビクッと肩を震わせたものの、クーラはくるりと振り返ったかと思うと頬を大きく膨らませる。
 「またお引越し? ずーっとそればっか。クーラ、もうやだよ!」
 「それが人質の取る態度かよ」
 「クーラ、ヒトジチじゃないもん。クーラの家出にお前たちが勝手についてきてるだけだもん」
 「ほんと、ワガママしか言えないお子ちゃまはめんどくさいにゃー」
 べぇーっと舌を出したクーラに背を向け、アンヘルは意地の悪い笑みを浮かべた。
 「それとも袋詰めにしちゃう?」
 「このまま動かねェつもりならな」
 そのとき、不意にノイズ交じりのラジオから陽気なジングルが鳴り響いた。
 「続報です。先日開催が発表された『THE KING OF FIGHTERS』について...」
 クーラの視線が古びたラジオへと向けられる。それにつられたのか、青年もまたそちらへ目を向けた。
 先ほどの反抗的な態度はどこへやら、不明瞭なアナウンサーの声に耳を傾けるクーラの横顔はどことなく寂しそうで、それを目ざとく見つけたアンヘルはニヤリと口角を上げた。彼女はスマートフォンに一枚の画像を映し、それをクーラの鼻先へと突きつける。
 「さてと。肝心の保護者クンたちは、ちゃんと家出娘を迎えに来てくれるかにゃー?」
 「...!」
 目の前に突きつけられた画像を見てクーラは表情を強張らせた。監視カメラのデータを不正に抜き取ったかのようなそれには、猫背で歩く一人の青年の姿が映り込んでいる。サングラスのせいで目元の表情はうかがい知れないが、その口元は不機嫌そうに歪んでいるように見えた。
 キュッと拳を握ったクーラを一瞥し、青年は嘲笑交じりに肩を竦める。
 「来るなら予定通りぶちのめす。尻尾巻いて逃げるなら盛大に笑ってやるだけだ。
 おいクソガキ、ちゃんと戦えよ。出来損ないのテメェでも最低限の戦力にはなるんだからな」
 その言葉へクーラはムッとした表情で振り返った。しかし、何かを言い返す様子は無く、彼女は自身の荷物が詰まっているのであろう小さいリュックサックの方へと歩いていく。どうやら“引っ越し”に応じる気になったらしいクーラの様子を一瞥し、青年とアンヘルもまた数少ない荷物の方へと足を向けた。
 「傭兵どもに踏み込まれる前に、とっとと離れるぞ」
 「うぃーっす。次はもうちょい住みやすいとこにしたいにゃあ...っと?」
 アンヘルはスマートフォンを懐に戻し、ふと何かに気づいたかのように顔を上げる。
 しばらくこめかみに指を当てて考えていたかと思うと、彼女は完全に諦めきった様子で青年へ訊ねた。
 「...そういえば、今のあにゃたの名前、何だったっけ?」
 「また忘れたのかよテメェ。いいか、一度しか言わねェから今度こそ覚えとけよ」
 青年はゴーグルの下で目を細める。不規則に点滅するオンボロ電球の光を反射し、その右手を覆う傷だらけの青いグローブが鈍色に光った。
 「俺の名前はクローネンだ」

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──  G.A.W.チーム  ──

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モスクワの裏路地に心も凍てつくような風が吹き荒ぶ。人けもなく、星空の灯りしか差し込まないそのような場所に身を寄せ合って歩く二人の男性がいた。
 片や、中年男性にしてはやや小柄な背丈。片や、熊と見紛うほどの筋骨隆々の大男だった。彼らが抱えている荷物は少なく、誰が見ても着の身着のままといったていであった。彼らの目の前で風に乗って飛んできた数枚の新聞紙がレンガの壁に張り付き、彼らは思わずその紙面へと目をやる。
 ーKOFでのスタジアム倒壊は“予定調和”か? 過激な演出だと批判殺到!
 ー内部告発か、演出は全てアントノフ社長の独断と暴露! 過去の実績についても多くの疑問を...。
 ーアントノフ、退任を表明! アントノフ・コーポレーション理事会、後任については...。
 紙面を見てふるふると二人の男たちは震える。
 大男が拳をレンガの壁に打ち付けると、新聞紙がその衝撃で剥がれて路地の奥へと飛んで行った。
 「しゃ、社長...」
 「社長ではなぁい!」
 その叫びに小柄な男の方は伸ばしかけた手をハッと引っ込める。
 「何がヤラセだ、何が...! そんな冷めること、この俺がするわけないだろうがぁ...!」
 がっくりとその場に膝をついた大男こそ今世界中でー不本意にもー話題を集めている男、アントノフ・コーポレーションの元オーナー、アントノフその人であった。
 彼が主催した『THE KING OF FIGHTERS』で突如出現した怪物は彼が何億も投じて建設したスタジアムを木端微塵にしてしまった。それでもチャンピオンと怪物の死闘は高視聴率を叩き出し、様々な損失を差し引いても大会は大成功したかのように思えた。SNS上でアントノフのヤラセ疑惑が浮上するまでは。
 根も葉もない噂はたちまち世界中に広がり、アントノフが気づいた頃には取り返しがつかないレベルにまで炎上してしまっていた。その結果、彼は部下のヤコフとともに半ば夜逃げするような形でモスクワの裏路地を彷徨っている。
 しばらく蹲っていたアントノフだったが、不意に首をゆるゆると横に振る。
 「いや...まだ終わっとらん! またこの身一つでやり直せばええ話じゃないか!」
 小柄な男、ヤコフは崩れ落ちるアントノフをしばらく見つめていたが、意を決したように口を開く。
 「一つではなく二つですよ社長、いえ...アントン! 私はどこまでもお供します。昔からそうだったじゃあないですか」
 「おぉ...ヤコフ...!」
 二人は見つめ合い、互いに目を潤ませる。その脳裏に今までの思い出が溢れ出し、学生時代の記憶にまで巻き戻らんとしたその時だった。
 大通りに面した細い通りからまだ幼い少年の声が響く。
 「...チャンピオンのおじちゃん!?」
 「そ、その声は!?」
 そこに立っていたのは家族で家に帰る途中だったのか、両親から離れ、驚きの顔で二人を見つめている一人の男の子。KOFにてアントノフがその身を挺して庇ったミーシャ少年の姿だった。

 ミーシャ少年の両親の口利きもあり、アントノフとヤコフはアパートの一室へ何とか滑り込んだ。固定電話が一本引かれているだけの質素な部屋だったが、極寒の大地シベリアにて腕一本で成しあがった経験のあるアントノフ、そしてその傍でずっと見守ってきたヤコフにとっては十分だった。
 電話一本を元手に彼らは新たな事業を始めた。そう、それはー
 「...っちゅー紆余曲折を経て、この団体を立ち上げたわけだな。とまあ、前置きは長くなったが」
 指先で白いウェスタンハットの縁を軽く押し上げながら、アントノフはサングラスの奥で目を細める。それと同時に、葉巻を咥えた口角が二っと吊り上がった。
 「ようこそ、ギャラクシー・アントン・レスリングへ! 歓迎するぞ、ラモン、キング・オブ・ダイナソー!」
 大きく腕を開いたアントノフの背後には一枚の横断幕が掲げられてある。そこに描かれたロゴマークーギャラクシー・アントン・レスリングことG.A.W.の文字は今や“超新星のプロレス団体”として世界中が知る所となっていた。
 彼らが立っているのはG.A.W.の社長室である。しかし、アパートの一室を事務所として改装しているため、社長室としての区切りは無いに等しい。振り返れば中古の事務机が並んでいるのが見えるような、そんな様相の室内だった。
 しかし、ラモンとダイナソーからすれば、そういった空間であるからこそ居心地の良い事務所に思える。彼らは笑顔でアントノフの言葉に頷いた。
 「おう! これからよろしく頼むぜ、社長」
 「YOUと共に仕事ができて光栄だ!」
 アントノフと握手を交わすラモンとダイナソーの姿を嬉しそうに見守っていたものの、ヤコフは僅かな心配を顔に浮かべながら二人へ問いかけた。
 「しかし、移籍していただくのは我々としても大変ありがたいのですが...お二人ともメキシコで積み上げたキャリアがあったはず。よろしかったのですか?」
 彼の質問に対し、ラモンと朗らかに笑いながら返答する。ダイナソーはその隣でどっしりと腕組みをし、真面目な表情で答えた。
 「メキシコを離れたからって地元愛が無くなったわけじゃねぇさ」
 「今の時代、もはやプロレスに国境はないからな。遠く離れていようとファンに私達の勇姿を送ることはできるし、逆も然りだ!」
 ダイナソーの隣で「それに」とラモンが口角を上げる。
 「あんたらが目指してるのは“ロシア一”じゃなくて“世界一”だろ?」
 その言葉にヤコフは感銘を受けた様子で胸元に手を当てる。アントノフはますます口元の笑みを深くしたと思うと、窓ガラスが震えそうなほどの声量で笑い声を上げた。
 「わっははははは! ますます気に入ったぞお前達!」
 ラモンとダイナソーを交互に見やったかと思えば、アントノフは勢い良く天を指差した。
 「だが違う! G.A.W.が目指しているのは世界一でもない...“銀河一”だ!」
 サングラスの奥でキラキラと輝く、アントノフの少年のような曇りなき眼。その視線に射止められ、ラモンとダイナソーは顔を見合わせ、楽しそうに笑った。
 「とりあえずだ。目標への第一歩としてKOFに出場するぞ! そしてチャンピオンの座を取り返すのだ...俺達三人でな!」
 「いい~ねえ! そりゃ世界も盛り上がりそうだ」
 「うむ! YOU、そしてこの団体の未来の為に、私も全力を尽くそう!」
 「...てか恐竜、さっきからヒールっぽくないことばっか言ってねーか?」
 「ムッ!? い、今はオフであるし、社長の前だ。何ら問題あるまい!」
 シベリアの氷雪すら溶かさんばかりの情熱が彼らの中に宿っている。正真正銘、これがG.A.W.の第一歩になるのだ。熱く語らうアントノフ、ラモン、ダイナソーの姿を見守りながら明るく笑顔に満ち溢れた未来を想像し、ヤコフは微笑んだのであった。

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──  スーパーヒロインチーム  ──

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サウスタウンの通りに店を構える“バー・イリュージョン”。日も暮れかけてきた頃合い、OPENとプレートが下げられたドアが勢い良く開かれ、一人の艶やかな女性が店内へと踏み込んでくる。
 「ちょっと聞いてよキングさん!」
 見慣れた表情で聞きなれた言葉を告げ、そのままバーカウンターの一席に真っ直ぐ歩いてくる彼女を見やり、店長のキングは思わず苦笑を浮かべた。
 「いらっしゃい、舞。またアンディと組めなかったって話かい?」
 「そうなのよ! んもう、どうしてあれだけ言ってるのに、私とは一緒に組んでくれないのーっ!?」
 差し出されたグラスの中身をグイっと飲み干すと、キングの親友である彼女ー不知火舞はカウンターに突っ伏した。彼女の恋人が兄や親友を優先してしまうのは毎度のことで、こうして彼女が憤って店に駆け込んでくるのも日常と化してしまっている。
 舞が顔を上げたので、愚痴にキングが耳を傾けようとしたそのとき、先ほどと同じ勢いでドアが開く音がした。二人が振り返ればそこには不機嫌そうに眦を吊り上げているユリ・サカザキの姿があった。
 「いらっしゃい、ユリ」
 「あっ、ユリちゃん。ここ空いてるわよ」
 舞が示した隣の空席にずかずかと歩み寄ると、ユリは椅子に座りながら二人へと身を乗り出した。
 「ちょっと聞いてよキングさん、舞さん!」
 彼女の剣幕に数秒前の舞のことを思い出し、キングは再び苦笑を浮かべる。
 「お兄ちゃんったら私のこと“たるんでる”とか“腕が鈍ってる”とか言ってチームに入れてくれなかったんだよ!? 確かに最近焼肉屋さんのバイトで忙しかったのは事実だけど、やれるときには自主トレだってやってたのに! 帰ってくるなりそれってひどくない!?」
 カウンターに両手を置きながら眉を吊り上げるユリを見つめ、舞は同情するように何度か頷いてみせる。
 「それは確かにひどいわ。アンディにしてもユリちゃんのお兄さんにしても、私達の努力を軽く見すぎだと思うのよね。女の子は見えないところでめいっぱい努力してるんだから」
 グラスを片手で握り締めながら真剣に語る舞の姿を、ユリは感銘を受けたかのような目で見つめていた。一呼吸を置いてから舞はグラスをトンとカウンターへ置き、熱意に満ちた瞳をユリへと向ける。
 「ユリちゃん、こうなったらあなたの実力をビシッと見せつけるしかないわ! KOFという晴れ舞台でドーンとお兄さんにぶつけてやりなさい!」
 「うん! 絶対にお兄ちゃんにギャフンと言わせてやるんだから! 舞さんもアンディさんにバビッと実力を見せつけちゃえ!」
 舞とユリは固く手を握り合う。二人が同時に「そうと決まればキングさんー」と口を開きながら振り返ると、困り切った表情のキングと目が合った。彼女は少し気まずそうに目を伏せながら、舞とユリへ返事をする。
 「あー、それだけど。今回は一緒に行けそうにない」
 「え? 確かに一旦保留にして欲しいって聞いてたけど、何かあったの?」
 「...実は、つい先日リョウからチームに誘われてね。あんた達なら人集めくらいワケないだろうし、真剣な顔するもんだから、ついオーケー出しちゃってさ」
 だからごめん、と小さな声で謝ったキングに対し、舞とユリはしばらくぽかんと彼女の顔を見つめていた。そして二人は顔を見合わせー
 「えぇーっ!?」
 グラスが震えんばかりの驚きの声にキングも思わずビクッと肩を揺らす。
 舞はひとしきり驚いた後、気が抜けたようなどこか嬉しそうな表情を浮かべ、カウンター越しにキングへ温かい視線を送る。
 「なんだ、先に言ってくれればお祝い持ってきたのに。おめでとうキングさん! いい機会なんだし、ちゃんとデートの約束も取りつけなさいよ!」
 「ちょっと、茶化すのはやめとくれよ。ロバートも居るし、チームとして組むだけなんだから...」
 思わず頬を赤らめるキングを見つめながら、ユリは複雑そうな表情で頬を膨らませる。
 「そんなの聞いてないよー! お兄ちゃんのバカって言いたいところだけど、キングさんとお兄ちゃんの仲が進むなら悪い気もしないし...複雑な乙女心ッチ...」
 「ここはグッと我慢よユリちゃん! 友達としてキングさんの恋路を応援しましょ!」
 「...そうだよね、キングさんがお姉ちゃんになるかもしれない絶好の機会だし!」
 「だからあんた達ね...」
 眉根を寄せて唸るユリの肩を叩きながら舞は熱の籠った声で諭す。そんな彼女の表情を見返し、ユリの表情もパッと明るくなった。完全に友人の恋路を見守る姿勢に入った二人に見つめられ、キングは呆れとも諦めともつかない溜息を漏らした。

 一方その頃、店内の喧騒などいざ知らず、一人の少女がサウスタウンの通りに佇んでいた。清楚なワンピースにバスケットハットを目深に被ったいで立ちで、その目元は傍目からはうかがい知れない。日は既に暮れ、街のネオンが薄闇に映えるなか、彼女はバー・イリュージョンの扉の前で緊張しながら一枚の書類を握り締めている。
 深呼吸の後、意を決したようにドアノブを握ると、少女は店内へと一歩踏み込んだ。
 「あの、失礼します! こちらに舞さんとユリさんがいらっしゃると聞いたのですが」
 彼女の良く通る声が店内に響く。カウンターで和気あいあいと喋っていた三人の女性が戸口へと振り返り、少女の姿を見るや意外そうに目を丸くした。
 「アテナじゃないか。舞とユリならここに居るけど、どうしたんだい?」
 キングはカウンター越しに舞とユリを示しつつ、少女ー麻宮アテナの姿をまじまじと見つめた。
 日本でアイドルとして活動する彼女がなぜわざわざサウスタウンへ来たのかという疑問は尽きない。プロデューサーや師匠の鎮元斎はもちろん、彼女の兄弟弟子であり彼女の大ファンでもある椎拳崇の姿もないことから、お忍びで渡航してきたのだろうと推測できる。
 アテナは帽子を外し、背筋を正して舞とユリへ向き直った。
 「私、舞さんとユリさんにどうしても聞いてほしいお話があって...!」
 彼女の熱意に満ちた目を見、舞はハッと何かに気づいたように息を呑む。そして、彼女の言葉を遮るように片手を上げた。
 「みなまで言わなくていいわ、アテナちゃん」
 その隣でユリもまた、腕組みをしながらウンウンと頷く。
 「アテナちゃんの気持ち、手に取るように分かるよ...」
 彼女らのリアクションを見てアテナは目を丸くする。
 「もしかしてお二人とも...! そうなんです、実はー」
 察されていると思えば気が楽になったのか、アテナが表情を和らげて言葉を続けようとしたその時だった。
 タンッと小気味よく片手でカウンターを叩き、舞が勝気な笑みを浮かべて見せる。
 「今回のKOFは私、ユリちゃん、アテナちゃんの三人で挑むわよ!」
 「えっ? KOF...?」
 アテナが目を白黒させているのにも気づいた様子はなく、椅子から立ち上がったユリもまた不敵な笑みを浮かべてみせた。
 「可憐で優美で超強いスーパーヒロインチームの誕生ッチ! 世界中に私達の力を見せつけちゃおう!」
 「あのそうではなくて...舞さん? ユリさん?」
 「この面子なら優勝間違いなしね!」
 訂正しようと恐る恐る呼びかけるアテナの姿は既に眼中にないのか、舞とユリは情熱とやる気に満ち満ちた表情で手を取り合っている。
 困惑するアテナに対し、キングは苦笑して見せた。
 「こうなったらもう腹括るしかないよ。その用事、大会が終わった後でも間に合うのかい?」
 「は、はい...」
 「じゃあ大会が終わってからゆっくり話すといいさ」
 大会への意気込みを語り合っている舞とユリの姿を見、アテナはがっくりと肩を落とすのであった。
 「うぅ、頑張ります~...!」
 二人の隣の空席へ誘われるアテナに同情の視線を送りつつ、キングは新しいグラスに手を伸ばす。
 勝気な舞に負けず嫌いなユリと同チームで戦うのは中々骨が折れるだろうが、付き合いも浅くないアテナであれば十分に努められるだろう。大会が終わったら労ってやろうと考えながら、キングはミネラルウォーターを注いだグラスを彼女の前に置いた。

TEAM NAME

──  エージェントチーム  ──

TEAM NUMBER
TEAM VISUAL

サウスタウンの片隅に、人目を忍ぶように建つ一軒のバーがある。人影もまばらなその店内にはバーカウンターに並ぶ男女が一組。両者とも品の良い佇まいですらりと背が高く、指先の仕草一つすらも優美に感じられるような美男美女だった。
 彼らが入店してから一時間は経った頃合いだろうか。話を切り上げた男が眼鏡のフレームの位置を指先で軽く整えるのを横目で見やった後、黒髪の美女は興味深そうに目を細めた。
 「... それがあなたの欲しいものなのね?」
 カウンターの上に置かれた写真を音もなく懐にしまいながら、若い男は静かに頷く。
 「“これ”を入手するのはあなたでも厳しいでしょうが... 」
 「あら、失礼しちゃうわね」
 「もし何らかの形であなたの手元に届くことがあれば、個人的にお譲りいただけますか? 無論、報酬はきちんとお支払いいたしますよ」
 彼がゆっくりと振り返ると同時に、二人の間に置かれたグラスの中で氷がカランと音を立てる。若い男が眼鏡越しに向ける視線に一つ笑みをこぼすと、美女は静かに席を立った。
 「そうね。もし手に入ったら... ね」
 彼女の言葉を聞き、男は口元に薄く笑みを浮かべる。美女は去り際にバーの片隅に置かれた装飾だらけのスツールを一瞥したが、特に気を引かれた様子も無くドアノブへと手を伸ばした。
 「また会いましょうね。ハインちゃん」
 そうして彼女ールオンはバーを後にする。残されたのはバーの入り口の扉に備え付けられたベルが鳴らす、カランカランという虚しい音だけだった。

 陽光が燦々と降り注ぐ昼下がり、海鳥の鳴き声が心地の良い潮騒に乗って響いてくる。
 彼女が来店してからかれこれ一時間が経とうとしている。汗が滲むような日差しのせいか、はたまたSNSで話題になっている店であるからか、若いカップルの来店が後を絶たない。特に海に突き出すように設けられたこのカフェテラスには客足も多く、顔を突き合わせてストローに口を付けるカップル達の話し声がひっきりになしに聞こえてきた。
 手にしていたタブレットPCをテーブルの上に置き、ブルー・マリーは深い溜息をこぼした。
 「駄目ね。これ以上は流石に尻尾も掴ませてくれないってことか... 」
 彼女は同業者であるヴァネッサに呼び出され、待ち合わせ場所と指定されたこのテラス席を守り続けている。初めはオフのつもりで食事を楽しんでいたのだが、ヴァネッサから「ごめん、一時間くらい遅刻しちゃうかも」というメッセージが来てからは“時間潰し”として自身の仕事内容の確認に勤しんでいた。
 マリーは自身のタブレットの画面に映り込んでいる一枚の隠し撮り写真を睨みつける。
 前回のKOFから頭角を現し始めたハワードコネクションの新入り、ハイン。彼は何かの思惑を抱えてハワードコネクションに潜り込んでいる。ハワードコネクションにも気取られぬように動いている様子ではあるのだが、肝心の尻尾は掴めないでいる。
 ここ数か月の間にマリーがようやく掴めたヒントは、この隠し撮り写真一枚であった。
 「ハワードコネクションの目を掻い潜ってまで行われている密会、ね。ただの逢引とは思えないし... 」
 そこにはサウスタウンの外れのバーで静かに飲み交わすハインと一人の黒髪の美女ーこれまたキム・カッファンの師匠・ガンイルの愛人として前回のKOFに顔を出した謎の女ールオンの姿が映り込んでいる。
 「ルオン... 彼女はいったい何者なの?」
 マリーが眉を顰めたその時だった。客席の間を縫うように見慣れた深紅の髪が視界に映り込む。
 「マリー、お待たせ~! 遅れてごめんなさいね~」
 「ちょっと、呼び出しておいて遅刻なんてー」
 タブレット端末の電源を落としながら、マリーは苦笑で表情を塗り替えながら顔を上げる。だがその笑顔はヴァネッサの後ろを歩く人物を見て一瞬固まった。
 ヴァネッサの背後に居たのはすらりと背の高い黒髪の美女。つい先ほどまでマリーが訝しげに睨んでいた写真の中の人物と同一人物だったのだ。ルオンはそんなマリーの胸中を知ってか知らずか、穏やかに微笑みながら手を振ってみせた。
 「ごきげんよう。ええと、ブルー・マリーさん... だったかしら?」
 「... ええ、そうよ。こんなところで会えると思わなかったわ、ルオン。正直驚いたもの」
 マリーが笑顔で挨拶を返すと、ルオンも嬉しそうに目元を綻ばせた。
 二人がそうしている間にヴァネッサは空いた椅子に腰を下ろしており、テーブルに置かれたメニューに手を伸ばしながらマリーへと声を掛ける。
 「“協力者”を迎えに行ってたのよ。アナタにとっては悪い話じゃないと思うけど」
 マリーはタブレット端末を鞄に戻しながら、ヴァネッサへ目を向けた。
 「あら、あなたに仕事の話ってしたかしら? ヴァネッサ... 」
 「勘違いしないで欲しいわね~。彼女の方から声を掛けてきたのよ?」
 「そうなの。私、KOFでの楽しさやスリルがどうしても忘れられなくて。けど、あの人やキムちゃんは今修行で手一杯だし、気の知れない人とはあまり組みたくないでしょ?」
 ルオンもまた席に着きながら、ヴァネッサが差し出したメニューを受け取っている。マリーは気取られないように観察したが、彼女の少し困ったような口ぶりや表情から真意は測り取れない。探るだけ無駄だろうかと一瞬諦めが頭によぎったその瞬間、マリーはルオンと目が合った。
 「そこであなた達のことを思い出したの。女同士だし、人柄も良さそうだし、すぐに仲良くなれそうだと思って。特にマリーちゃん、あなたとは“話題”も合いそうだし、ね... 友達から色々教えてもらった噂もあるの。きっとあなたなら興味あると思うわ」
 彼女がそう言って浮かべた微笑の奥には、あからさまに“裏”があった。まるで見せつけるような彼女の笑みにマリーの眦が微かに吊り上がる。
 「そうね。何を企んでいるのか教えてくれるのなら、もっと仲良くできそうだけど」
 マリーとルオンは笑顔で睨み合う。傍目から見れば意気投合した女同士だろうが、そこでは確かに悪意と不信と敵意で作られた見えない火花がバチバチと二人の間で弾けていた。
 まるでその火花をかき消すかのように、二人の顔の間でヴァネッサは折り畳んだメニューを振る。
 「まあいいじゃない。彼女、実力も申し分無いんだし。仮に裏があったとしても、私としては傭兵部隊の隊長さんに邪魔されず、ターゲットを監視できたらそれで十分。アナタもハワードコネクションの情報を横流ししてもらえたら万々歳でしょ?」
 彼女は近くの店員を呼び止めて慣れた様子でメニューを注文すると、表情をやわらげたマリーとルオンへ交互に見やった。ヴァネッサが浮かべた笑みはいつもの気さくなものではあったが、二人に向けたその目だけは仕事の際にのみ見せる真剣な色を帯びている。
 「まず私とマリーはルオンをKOFへ連れていく。大会が始まったらアナタ達は私のお仕事を手伝う。そして、大会が終わったらルオンと私は報酬としてマリーに必要な情報を支払う。必要なのはそれぞれの仕事を完璧に終えること... 二人とも、異論はないでしょ?」
 彼女の言葉にルオンはにこりと微笑みを返し、マリーは渋々といった様子で頷いて見せた。二人の反応を見たヴァネッサは目を細め、満足そうに手を叩く。
 「よし! じゃあ気が合う女同士、持ちつ持たれつでいきましょ~♪」
 タイミング良くウェイターが料理を運んでくる。テーブルに次々とドリンクと料理が置かれていくなか、最後にドンと乗せられた大きなジョッキに視線を移し、思わずマリーはウッと表情をひきつらせ、ルオンは目を丸くした。
 「すごい量。泡が溢れちゃってるわね... 」
 「ちょっと、オフだからってまさか真っ昼間から... 」
 「失礼ね~。ノンアルに決まってるでしょ~? ほらアナタ達もグラス持って!」
 二人がそれぞれのグラスを手に取ったのを確認し、「チーム結成に乾杯」と笑顔でヴァネッサがジョッキを掲げる。ジョッキの淵から零れ落ちる白い泡に、チカチカと明るい陽光が煌めいた。

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──  怒チーム  ──

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水平線の上に浮かぶ積乱雲を目指すかのように、艦艇が列を成している。どの国家にも所属せずに世界中を航行するそれは、ハイデルン率いる傭兵部隊の本拠地であった。
 艦隊の中央に位置する空母、その船内のブリーフィングルームに彼らは居る。
 「今作戦における我々の目標は“バース”...前回の大会で姿を現したあの怪物を完全に消滅させることだ」
 暗い室内、データが投影されたスクリーンの前に立ち、ハイデルンはぐるりと一同を見回した。
 上官に向かい合うように整列するのはラルフ、クラーク、レオナの三人。彼らはハイデルンに視線を合わせ、彼の口から語られる作戦内容に集中しているものの、見慣れぬ二人の客人に僅かな意識を割いていた。
 「各地での重力波の観測結果に加え、協力者...ドロレス氏の有力な情報提供により、奴が再びKOFに出現するであろうことが予測されている」
 協力者という言葉に差し掛かるとハイデルンはほんの一瞬だけ視線を隣の女性へと移した。ドロレスと紹介された女性は三人へ優雅に会釈してみせる。しかし、彼女が三人へ向ける目からは、まるで観察するような――悪く言えば値踏みするような様子が見て取れた。
 「次の出現による被害は前回の大会を大きく上回るだろう。被害を最小限に留め、早期に奴を食い止める...それが今の我々に課せられた任務だ」
 ハイデルンはそこまで言い切ると部屋の照明を点灯させる。室内に明るさが戻ると、張りつめていた空気も自然と柔らかくなっていくように感じられた。
 正した姿勢はそのままに、サングラスの裏で目元を微かに緩めながらクラークは口を開いた。
 「了解です。今作戦の重要性は理解していますが、しかし、まさか教官も前線に出られるとは」
 「ああ。しかも教官のチームメイトが...」
 同調するようにラルフも頷く。そしてその視線が部屋の片隅へと向けられた。
 壁に背をあずけ、退屈そうに指を弄んでいた少女がハッと顔を上げる。彼女は威嚇するようにラルフを睨み返し、全身を強張らせた。
 「おっと。こりゃ失礼、リーダーの嬢ちゃん」
 まるで道端で鉢合わせた野良猫のような反応に苦笑しつつ、ラルフは視線を上官へと戻す。
 一連の様子を眺めていたハイデルンは一呼吸置き、言葉を続けた。
 「今作戦において“アンプスペクター”...イスラ及びにシュンエイの存在は極めて重要だ。前大会でシュンエイにその兆候が見られたように、バース再出現時に彼女らが力を暴走させる可能性は否めない」
 ラルフとクラークの表情が引き締まった。入室してから一切の表情の変化が無かったレオナですら、上官の言葉にぴくりと瞼を動かす。
 「ラルフ、クラーク、そしてレオナ。お前達の主な役割は大会の経過観察及びにシュンエイの監視だ。もし彼がその能力を暴走させた場合は鎮圧に当たれ」
 ハイデルンが口を閉ざすと、室内がしんと静まり返った。
 沈黙の中、レオナはバースの内部からオロチが現れたことを思い出す。草薙京、八神庵、神楽ちづるの三者の手によって祓われたという報告こそ挙げられていたものの、それで終わりではないことにレオナは気付いていた。
 彼女の中に眠る呪われた血が今もなお疼いている。レオナは何度も血に抗い、戦い、時に暴走し、その度に隣にいる上官達に助けられてきた。今更、昔のように怯えるつもりも、負けるつもりも毛頭ない。
 しかし、今回の衝動は“今までとは何かが違う”。その予感がレオナの胸の内に小さな不安の影を落としていた。もし予感が的中し、彼女自身が暴走してしまったら、任務の遂行に大きな支障をきたすだろう。少しでも不安要素があれば申告すべきだろうかとレオナが口を開こうとしたその時だった。
 「ははぁ、なるほどね。そりゃまさに俺達が適任ってワケだ」
 不敵な笑みを浮かべたラルフの声が沈黙を破る。彼は隣のレオナの肩を軽く叩きながら、大仰に頷いてみせた。
 「任せといて下さい教官。暴走してるヤツを抑え込むのにゃ慣れてますんでね」
 「違いありませんね。いつも通りに参加し、いつも通りに任務を完遂するだけです」
 レオナの反対側で静かに頷くクラークの口元にも、やはりいつも通りの笑みが浮かんでいる。
 彼らの様子を横目で見た後、レオナは再びハイデルンへと向き直った。彼女の口元には微かな変化が生まれている。それが笑みなのだと気付けるのは、彼女が信頼を置ける仲間と、彼女を見守り続けてきたハイデルンだけだった。
 「...了解しました、教官」
 飾り気のない、しかし実直な返答にハイデルンは静かに頷く。
 「作戦中、決戦スタジアムから北方六十キロに位置する海上に艦隊を待機させる。各人、油断せず任務にあたれ。以上!」
 「――はっ!」
 最敬礼をし、毅然とした足取りでブリーフィングルームを後にする三人の部下の姿を、ハイデルンは信頼の眼差しで見守っていた。

TEAM NAME

──  ライバルチーム  ──

TEAM NUMBER
TEAM VISUAL

じりじりと焼けるような日差しの中、とある児童養護施設の門の内側から長身の男女ーハイデルンとドロレスが姿を現す。二人が敷地から路上へ出た途端、まるで早く立ち去れと催促するかのようにガシャンと鉄の門が閉じられた。
 門の内側で職員が漏らした舌打ちに眉一つ動かさず、ハイデルンは懐からタブレット端末を取り出した。
 「やはりここには居なかったか」
 「ええ。それにしても...彼ら、随分と横柄な態度だったわね。“彼女”が逃げ出すのも納得だわ」
 純金製の眼鏡フレームを指先で軽く押し上げながら、ドロレスは門の内側へと視線を向けた。ハイデルンは彼女の言葉に少し眉を顰め、先刻まで見聞きしてきた施設の内情を思い返す。
 アポイントメントを取ったにも関わらず、まるで二人を面倒事の種のようにあしらう所長。遠くから聞こえてくる職員らしき大人の怒号。廊下ですれ違った子供達の曇った表情といい、少なくともここが子供にとって居心地のいい施設ではないことは火を見るよりも明らかだ。
 いつの間にか己に注がれていたドロレスの視線には気付かないふりをし、ハイデルンは淡々と告げた。
 「優先すべきは例の少女の捜索だ。施設の問題改善ではない」
 その答えに対し、ドロレスは微笑を浮かべた。
 「フ...そうね。けれど街は広いわ。捜索の宛てはあるのかしら?」
 「侮らないで貰いたいものだ」
 ハイデルンが歩き出すと、ドロレスはその後に続いた。
 “南米で活動する先進気鋭のグラフィティアーティスト”、それが彼らの捜索対象だ。捜索対象が手掛ける作品は地元の若者に熱狂的な人気を誇っており、ソーシャルネットワークを通じてその人気は海外にまで波及し始めている。彼女は神出鬼没で、大人の裏をかくように街中に現れてはライブペイントを行い、警官が駆けつける頃には姿を消すという。
 普通に考えれば、そのような相手を広い街中で探し出すのは困難を極めるだろう。しかし、“プロ”にかかれば話は別だ。
 「この程度の足跡、追う事に何の支障もあるまい」
 往来に集まる若者達の姿を遠目に捉え、ハイデルンはタブレットを再び懐へ収めた。
 人だかりを作っているのは地元の十代の若者達のようだった。しかし、その中にはまだ十代にも達していない幼い子供の姿もある。彼らの誰もが熱狂した様子で歓声を上げ、口笛を吹き、目の前で鮮やかに吹き荒れる色彩を楽しんでいる。
 そこでは鮮やかな黄色の上着をはためかせ、一人の少女が壁に向き合っていた。彼女は颯爽とガスマスクを装着し、軽快なステップで位置取りを変えながら壁面に両手のスプレー缶を向けてインクを噴射していく。一見すれば、彼女は才気と活力に溢れたごく普通のアーティストだろう。しかし、真に注目すべきは彼女自身ではなくー彼女の真上を飛び交う“手”だ。
 「アマンダ、パス!」
 少女はおもむろにスプレー缶を空中へ放り投げた。宙に舞い上がったその缶を、不思議なオーラを放つ紫色の“手”が素早くキャッチする。そして“手”は少女の手が届かない場所へペインティングを始めた。
 確かにそれはシュンエイという少年が扱っていた幻影の手とよく似ている。彼と異なる点を上げるとするならば、彼女が扱う幻影の手は小ぶりで破壊力には乏しそうであること、そして己の意志を持っているかのように動くことだろう。
 歩み寄るハイデルンとドロレスに気付いた観衆達から笑顔が消えるのと、彼女らが絵を描き上げたのはほぼ同時だった。
 「君がイスラかね」
 ハイデルンの呼び掛けに少女は振り返り、訝しげに目を細めながら口元を覆っていたガスマスクを外す。
 「ンだよ...それがどうしたの? てかアンタら、誰?」

 イスラが二人を案内したのは、人影も疎らな狭い公園だった。公園の隅にある遊具の傍で立ち止まると、彼女は不信感を隠す様子も無く、ジロリとハイデルン達を睨み上げる。
 「THE KING OF FIGHTERSってアレでしょ、金持ちが開いてる格闘大会。前のヤツも見てたよ」
 憮然とした表情で仁王立ちになるイスラの傍で、幻影の手ー彼女は“アマンダ”と呼んでいるらしいーがシャドーボクシングのように拳を構える仕草をした。好戦的な構えとはいえ、警戒心はあっても害意は無いことは分かる。
 ドロレスと目配せした直後、ハイデルンはイスラの視線を真っ向から受け止める形で口を開いた。
 「君には我々のチームメイトとしてこの大会に参加してもらいたい」
 「何のために?」
 「悪いが、今その問いに返答することはできない。君が我々の要請に応じるのであれば情報を開示しよう。しかし...大会に参加すること自体は、君にとっても利益があると思うのだがね」
 ますます表情を険しくするイスラをハイデルンは静かに見守った。数歩離れた位置から場を眺めているドロレスもまた、値踏みするような視線をかの少女へと向けている。
 しばらくの沈黙を挟んだ後、イスラは「足元見やがって」と不快そうに舌打ちをする。
 「...確かに、優勝賞金があれば施設のガキンチョ達にいいモン食わせてやれるし、参加するだけで世界中にアタシとアマンダの名前を売れる。今のアタシらにとっては願ったり叶ったり...だけど...」
 キャップのつばをクイッと指で下げ、イスラはいっそう低い声で唸るように返答した。
 「胡散くせーンだよアンタら。信用できるワケねーだろ」
 これ以上は喋ることもない、とでも言いたげに彼女はハイデルン達へ背を向けた。その隣でアマンダが二人へ「帰れ」とハンドサインを送る。
 確かに彼女からすれば、突然見知らぬ大人が訪ねてきたと思えば同行を願い出てきたのだ。不信感を覚えるのも当然だろう。しかも彼女は環境のせいか、“大人”という存在に対して頑なな不信感を抱いている様子。年が近いレオナも今回の接触に同伴させるべきだったか、とハイデルンが考えたその時だった。
 今まで沈黙を守っていたドロレスの声が公園に張りつめていた緊張の糸を切る。
 「次の大会にあの少年...シュンエイが参加すると言っても?」
 その言葉にイスラの両肩が強張った。公園の外へ向かって踏み出そうとしていた足を引き下げ、ゆっくりと彼女は振り返る。
 「シュンエイって...ヒゲの爺ちゃんや眠そうなガキンチョと一緒に出てた、あのいかにも根暗でいけ好かねーカンジのヘッドフォン野郎? 何でアイツの名前が出てくンだよ」
 先ほどの態度とは異なり、イスラの声色には微かな興味が含まれていた。それを見透かすように目を細めた後、ドロレスは眼鏡のブリッジを押し上げながら返答した。
 「それは地球上でただ一人、貴女だけが彼と同じ力を持っているからよ」
 「...ッ!」
 「貴女もずっと気になっているのでしょう? 自分と同じ力を持つ少年のことが...」
 目を見開きながら、イスラが二人の方へと向き直る。ドロレスの問いに対して返事は無いが、その両目に宿った驚愕の色、強張った表情の全てがその答えに等しかった。
 短い溜息を吐いた後、ドロレスは鋭い視線でイスラを射抜きながら言葉を続ける。
 「貴女達の“幻影を操る力”...そのルーツや秘密を知りたいと思ったことはない?」
 「アタシと、アマンダの...秘密...」
 「貴女が我々に協力し、十分にその実力を示したときには全てを教えましょう。約束するわ」
 目を泳がせて動揺しているイスラの傍で、アマンダがおろおろと彷徨う。
 どれだけの時間が経過したのだろうか。長い沈黙、公園の遊具が風を受けてギイギイと軋む耳障りな音がやけに大きく響く。離れた場所でボールを蹴っていた子供達がバタバタと公園から出ていった直後、俯いていたイスラがようやく口を開いた。
 「...アンタらに協力したら、アタシ達がいったい何者なのか教えてくれンだよな?」
 絞り出すようなイスラの問いに、ハイデルンは静かに答えた。
 「協力要請に応じた報酬は必ず支払おう」
 その返答を聞き、イスラは深く長い溜息を吐く。そして、迷いを振り払うように頭を振ると、体ごとハイデルンとドロレスへと向き直った。
 「フン、別にアンタらを信じたワケじゃねーぞ。オトナなんて何も信用できねー...けど...」
 イスラはキャップを指で軽く押し上げ、口の端を吊り上げる。その不敵な笑みが、ハイデルンとドロレスが初めて見た彼女の笑い顔だった。
 「アタシをリーダーにするってンなら、乗ってやるよ!」

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──  龍虎チーム  ──

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 雲一つない快晴。燦々と陽光が降り注ぐ正午、サウスタウンのメインストリートに佇む男が二人。彼らは荷袋を肩に担ぎ、煌びやかに輝く店舗の看板を見上げている。
 行列を成す店舗の入り口の上には陽光に照らされる“極限焼肉”の四文字が鎮座している。がやがやと口々に喋りながらメニューを覗き込む人々の列を遠巻きに、男の内の片割れーマルコ・ロドリゲスはごくりと唾を呑んだ。
 「焼肉屋の経営の方は...超順調、のようですね...」
 「ああ...」
 記憶の中のそれよりも大きく、豪華になっている店舗をもう一人の男ーリョウ・サカザキは何とも言えない気持ちで見上げていた。不安とも、不満ともつかない。恥ずかしいことながら、リョウ自身、胸の内に浮かぶこの名状しがたい感情について整理できていないのだ。
 修行でどれだけ雑念を振り払おうと、“極限焼肉”の文字を思い出す度に暗雲のようにわだかまる感情は悶々と沸き上がってくる。そしてその感情は今も確かにリョウの胸の内を曇らせていた。
 リョウとマルコは店の脇にある従業員入口へと向かう。インターホン越しに名乗ればすぐに事務所へと通される。整然としたオフィスで二人を出迎えたのはリョウの父タクマ・サカザキ、そしてリョウの親友にして同門のロバート・ガルシアの二人であった。彼らはリョウとマルコの姿を見ると笑みを浮かべて立ち上がる。
 「おお、リョウ、マルコ! 戻ったか!」
 「ごっつ久しぶりやな二人とも! 迎えに行かれへんですまんかったなぁ」
 ロバートはリョウへ歩み寄るとその肩を軽く叩いた。一礼するマルコの隣で、リョウもまた笑顔で返事をする。
 「いや、いいんだ。親父とロバートも元気そうで何よりだよ。ユリはどこにー」
 妹の姿を探そうとリョウが視線を動かしたそのとき、開かれたドアから疲れきった様子のユリ・サカザキが姿を現した。彼女は兄達の姿に気付いていない様子で、へろへろと部屋の中に入ってくる。
 「お小遣いのためとはいえ、さすがに疲れるよ~...。ごめんロバートさん、今日も道場には寄れそうにないかも...」
 「お疲れ様やで、ユリちゃん。極限焼肉の看板娘にも休養は必要や。仕事終わったらゆっくり休み」
 「うん、そうする! 明日はお昼まで寝ちゃうもんね~...と、あれ? お兄ちゃん達、帰ってたんだ!」
 ロバートの労いを受けて元気が戻ったのか、先ほどよりも背筋を伸ばしたユリはようやくリョウとマルコの姿に気付いたらしい。どうも焼肉屋のアルバイトに精を出しているらしいユリの様子に、リョウの胸の中で暗雲がもやもやと渦巻いた。
 「ただいま。ユリも元気そうだな」
 「まあね~。でも、ここしばらくバイトで忙しかったし、今はヘトヘトだよ」
 いつの間に髪を伸ばしたのか、おさげを揺らしながら兄へ笑いかけるユリの姿を見ながら、リョウは「仕事の手伝いは何も悪いことではない」と内心で呟いた。そして、リョウはタクマとロバートへと振り返る。
 「ああ、そうだ。ところで、修行の成果を確かめるためにもKOFに出場しようと考えているんだが、親父とロバートはどうするんだ?」
 「今はこの先の経営を左右する重要な案件が来ておるからな、ワシは手が離せん」
 さらりとそう告げたタクマの言葉にリョウの眉が僅かに下がる。しかし、本人含め、誰もそれに気づいた様子はない。タクマは腕組みをした後、ロバートに視線を向けた。
 「ロバートよ、リョウと共に出場してこい! 極限焼肉の広報も忘れずにな!」
 「押忍ッ!」
 師匠の言葉に大きく返事をしてからロバートは改めてリョウに向き直り、口角を上げながら手を差し出す。
 「ここんところ経営の手伝いで忙しかったさかい、そろそろ道場以外でも身体を動かしたい思っとったところや! 今回もよろしく頼むで、リョウ!」
 「...ああ! 頼りにしてるぞ、ロバート!」
 リョウは差し出された手を握り返した。固く握り合う手に安堵を覚えたのか、リョウの浮かべる笑みはいつも通りのものとなっていた。その表情を見て、マルコもホッと胸をなでおろす。
 「ほな、あと一人やな。とはいえワイとリョウときたら...やっぱここはユリちゃんやろな」
 「うんうん。ドーンと私に任せてよ、お兄ちゃん!」
 ロバートの言葉を受けてユリが身を乗り出す。そんな妹の姿をリョウは笑みを消してじっと見つめた。
 先ほどユリの言動を脳内で反芻し、リョウはしばらくの沈黙の後、低い声で返事をする。
 「...いや。今回、ユリは置いていく」
 「えっ...!?」
 「へっ? なんでや?」
 ユリとロバートは驚きで目を丸くした。タクマは腕組みを解かぬまま場を静観しており、マルコは一転して心配の視線をリョウやユリへと注いでいる。
 険しい表情を解かないまま、リョウはユリへ訊ねた。
 「ユリ、最後に道場で修行したのはいつだ?」
 「えっと...た、たしか...二か月くらい前...」
 「それで腕が鈍ってないとは言わせないぞ。KOFに出場するのは研鑽を積んだ猛者ばかりだとお前も知っているはずだ。断言する。今のたるみきったお前じゃ、誰一人として倒せない!」
 「...ッ!」
 ユリは酷くショックを受けたようだった。しかし、兄の言葉は図星を指している自覚があったのか、彼女は反論しようとしても言葉が出てこないようで、口を開閉させるのみであった。
 しばらくわなわなと震えた後、ユリは絞り出すように声を上げる。
 「ひどいよ...たるんでるだなんて...! そんなことないもん! お兄ちゃんのバカーッ!」
 事務所から飛び出していくユリの背を見送るリョウの横顔を見、ロバートは得心したように軽く頷く。そして、親友の肩を軽く叩き、諭すように言った。
 「負けず嫌いのユリちゃんのことや。心配せんでもちゃんと勘を取り戻してくると思うで」
 「...」
 リョウが返事の代わりに小さな溜息を吐くと、ロバートは首を傾げる。
 「せやけど、ほんなら三人目はどないするんや? マルコか?」
 指名にハッと身を強張らせたマルコの隣で、リョウは神妙な表情で考え込んだ。
 「いや、一人心当たりが...」

 開店前の札が下げられたバー・イリュージョンの店内、カウンターの奥でキングはグラスを丁寧に拭き上げていた。静かに開店の準備を進める彼女の耳に扉が開閉する音が届く。室内に入ってくる靴音へ、冷たい声で追い出そうと彼女は顔を上げる。
 「開店前だよ...って、あんたかい。驚かせないでくれよ」
 「準備中に悪かった。そこ、座っていいか?」
 しかし、店内に入ってきた男がリョウだと気付くと、彼女は表情を和らげた。リョウは片手を上げて挨拶をしながら、バーカウンターの一席へと歩み寄ってくる。
 「いいよ。何か飲む? 修行明け記念に一杯、さ」
 「いや...」
 向き合うように着席するリョウの真剣味を帯びた表情に、キングは不安そうに柳眉を顰めた。修行明けでこのような顔をすることは珍しく、何かあったのかいと声を掛けようと彼女がグラスを置けば、リョウは意を決したように顔を上げた。
 「なあキング、折り入って話があるんだが」
 真っ直ぐに目を見つめられ、キングはたじろぐ。
 「な、なんだい、改まって」
 「俺とお前は付き合いが長いし、気心も知れている。共にいて気が楽な相手だ」
 リョウの言葉の真意が掴めず、キングはどぎまぎする。
 「互いのことも熟知している。だから、俺はお前しかいないと思っているんだが...」
 「あ、ああ...」
 彼の表情は真剣そのもので、語る言葉に噓偽りはない。彼の性分からして何か極限流や格闘家に関することなのだろうが、しかしー“愛の告白”という可能性は否めないのではないか。意識している相手からの思わせぶりな発言に、どうしてもキングは期待を捨てきれず、頬を赤くしながら次の言葉を待った。
 リョウはカッと目を見開き、バーカウンターに手を付きながら身を乗り出した。
 「頼む! 今回は俺達と一緒にKOFに出場してくれ、キング!」
 キングは溜息を吐き、バーカウンターに両手をついて項垂れた。期待した自分に呆れた故の行動だったが、リョウは「駄目なのか!?」と心配そうな声を上げる。
 「いや、大丈夫よ。今回のKOFについては保留にしてたからね...舞なら自力で相手探せるでしょ」
 そう言ってキングは緊張の面持ちのリョウへと笑ってみせた。
 「それじゃあ...!」
 「いいよ。あんた達と組むのも久しぶりだね、リョウ」
 「ありがとう! 助かるぜ、キング!」
 リョウは嬉しそうに笑い、がしりと武骨な手でキングの手を取った。固い握手を結びながら、キングは内心で鈍いヤツと呟いたのであった。

TEAM NAME

──  オロチチーム  ──

TEAM NUMBER
TEAM VISUAL

 悠久とも思える闇の中で彼らが見たのは、突如として現れた“亀裂”だった。
 亀裂はたちまち広がり、中心がミシミシと音を立てて崩れ落ちていく。その隙間から覗くのは無数の光が瞬く世界。そこはまるで銀河のようでありながら、この世の理から外れた異質さを感じる空間だった。
 薄皮一枚を隔てたかのように近く、しかし永遠にたどり着けないと直感するほど遠いその亀裂の向こう側から彼らが何かの気配を感じた次の瞬間、そこから無数の“手”が噴き出た。
 無数の“手”の奔流は闇の中へなだれ込み、そこに揺蕩うばかりだった彼らを飲み込む。何かがひび割れ、崩れる音が響いたと思ったそのときー七枷社、シェルミー、クリスは共に見知った大地の上に倒れていた。

 三人が目覚めてから数日後、彼らはカフェの片隅にて他の客と同じように穏やかな午後を楽しんでいた。
 「やっぱり、僕らにあの光景を見せた張本人がどこかに居るわけだよね」
 クリスはスマートフォンに視線を落としながら、テーブルの上に置かれたジュースへと手を伸ばす。
 「そうね。ただの夢とは思えなかったし」
 「俺達を復活させたい何者かの仕業...って感じじゃ無かったな。少なくともオロチ一族の誰かが起こしたことじゃなさそうだ」
 シェルミーはつい先ほど購入したばかりの雑誌をテーブルの上に広げながら、社はできたてのサンドイッチを頬張りながら返答した。
 クリスはストローから唇を離した後、グラスをコースターの上に置きながらのんびりと言葉を続ける。
 「一瞬だったけど...かなり異質な力だったよね。別の地球意思の仕業って言われても納得しちゃうかも」
 彼の言葉を聞き、社は口に運ぼうとしていたサンドイッチを止める。そして掴んだサンドイッチはそのままに、向かいでぼんやりスマートフォンを弄っているクリスへと目を向けた。クリスは社の視線に気づき、彼の目を見返した。
 「確かにな。けど、そいつが何だって構わねぇだろ? 使えるなら利用してやるだけだ。“招待状”もこうして手に入ったことだし...な」
 片手で豪華な封蠟が施された一通の手紙をひらひらと振りながら、社は不敵な笑みを浮かべて見せた。彼のその表情にクリスもつられて微笑する。
 「社ったら、相変わらず単純だなぁ...けど、それもそうだね」
 二人がそれぞれサンドイッチとスマートフォンへ視線を戻そうとしたそのとき、傍らで雑誌を読んでいたシェルミーが小さな声を上げた。
 「あら?」
 彼女は広げている雑誌を回して社とクリスの方に向けると、誌面の一部を指差した。
 「社、クリス、これ見てみて。あの“手”、この子のコレに雰囲気が似てると思わない?」
 シェルミーが弾む声色で示したのは、『THE KING OF FIGHTERS特集』と書かれた記事の隅だった。そこには前回のKOFにて撮影されたと思しき写真が掲載されている。被写体となっているのは大きな幻影の手を操る一人の少年だった。
 「シュンエイくんですって。写真は粗いけど、けっこうカワイイ顔してるわね♪」
 うっとりと頬に手を添えるシェルミーに対し、社とクリスは一度顔を見合わせた後で写真に視線を落とした。彼女の言う通り写真は遠くから撮影されているためか少し荒く、社は眉間にしわを寄せる。
 「確かに雰囲気はそれっぽいが、こんな写真じゃなぁ...」
 「大会で直接確かめればいいんじゃない?」
 二人が返答すれば、シェルミーは笑顔を崩すことなく雑誌を再び手元に引き戻した。
 「そうね。うふふ、楽しみが増えちゃった♪」
 社は手に残っていたサンドイッチを口へ放り込み、そのまま目の前のアイスコーヒーへ手を伸ばす。クリスもグラスを手に取るが、氷がカランと乾いた音を立てたことに「あ」と短く呟き、店の中を巡回している店員へと声を掛ける。
 「すみません、オーダーお願いします」
 はーいと声を上げて歩いてくる店員を尻目に、シェルミーは雑誌の記事を熱心に眺め、一ページ、また一ページと捲っていく。
 穏やかな午後の空気と店内に流れる冗長なBGMに大きなあくびを一つ漏らした後、社は身を乗り出して机を軽く叩いた。その物音に隣席の女子高生達も思わず振り返ったが、すぐに彼女らは視線を逸らして自分達の会話へと戻っていく。
 「さてと、そろそろ新曲のこと考えっか」
 彼の言葉にシェルミーが雑誌を閉じ、クリスがスマートフォンを机に置いた。
 「ああ、そうだったね。脱線してごめん」
 「復活ライブ、楽しみね~。三人でいい曲作りましょ」
 そうして三人は日常へと溶け込んでいく。
 隣の席で雑談に花を咲かせる女子高生も、向かいで新聞を読むサラリーマンも、眠たげに店内を巡回する従業員も、誰一人として彼らの会話の内容に耳をそばだて注目する素振りは無い。
 そう、年の離れたただの友人同士に見えるこの三人が、人類の滅亡を望むオロチ一族であることなど誰が想像できるだろうか。

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──  餓狼チーム  ──

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夕暮れを迎えたサウスタウンの一角、客足が増え始めた頃合いのパオパオカフェに彼らは集合していた。
 陽気なネオンが輝くバーカウンターから少し離れたテーブル席でテリー・ボガードとアンディ・ボガードは思わず連れ合いの男を見つめた。彼らが料理に伸ばしていた手を一瞬止めたのは、友人、ジョー・東がおもむろに提案したからであった。
 今回の『THE KING OF FIGHTERS』に参加するにあたって、優勝の暁に達成したい目標を誓い合おう――彼の提案した内容は要約すればそういった事である。ジョーの性格を考えれば特に珍しい提案ではないものの、突然の申し出にアンディは微かに首を傾げる。
 「誓いを立てるって...別に構わないが、何でまたそんなことを?」
 「普通に参加して普通に優勝するだけじゃつまんねぇだろ? 負けられねぇ理由もできてモチベーションも上がるし、一石二鳥ってなモンよ!」
 ジョーはそう言って不敵に笑った後、唐揚げを頬張る。そんな友人の姿を見、テリーもまた陽気に笑った。
 「ジョーらしいな。いいぜ、乗った!」
 白い歯を見せて笑うテリーと、その隣で同意を示すかのように好意的な笑みを浮かべているアンディを見、ジョーは満足そうに眉を上げる。彼はフォークを置くと、居ずまいを正しながら二人の方へ身を乗り出した。
 「ヘヘッ、お前らなら乗ってくれると思ってたぜ! じゃあまずは俺の誓いだけどよ...」
 「おっと、それ、今言う感じなのか?」
 「あたぼうよ! いいか? 今回優勝したらだな...」
 アンディの言葉に返答した直後、ジョーはしばらくフルフルと拳に力を溜め、気合の入った言葉と共に腰を浮かせながらガッツポーズを取った。
 「俺はリリィにデートを申し込むぜ!」
 かなりの声量で放たれたジョーの声がパオパオカフェの壁に反響する。他の客の視線も気にならないほどの熱量でこちらを見つめる彼の顔つきに、ボガード兄弟は合点がいった。そもそもジョーがこの事を提案した発端はここにあるのだろう。
 「ああ、なるほど...それは気合が入るな」
 「ハハハ。ジョーの恋路のためにも負けられないな、俺達も」
 そう言ってアンディとテリーは顔を見合わせ、笑顔を浮かべる。
 再び椅子へ腰を下ろしたジョーはジョッキに手を伸ばし、視線をアンディへと向ける。
 「おっし!じゃあ次はアンディな!」
 「俺!? 目標、目標か...」
 アンディは顎に軽く手を当て、考え込んだ様子で口を開いた。
 「不知火流の道場で日夜鍛錬を重ねているが、少し道場に籠り気味かもしれないな。さすがに長期間留守にするわけにはいかないけど、初心に立ち返って武者修行に出るのも悪くないか...?」
 真面目に考え込む彼の向かいでテリーは頷いて見せる。
 「武者修行、いいんじゃないか?」
 「ただ、そうすると誰かさんがお前の名前を呼びながら追いかけてきそうだな~」
 「ジョーは舞を何だと思って...いや、うん、否定できないかもな...」
 ニヤッと笑ったジョーに対して眉を顰めたものの、その様子を想像でもしたのか、アンディの語気が弱くなっていく。アンディは小さくため息をついてドリンクを飲んだ後、今度はテリーに問いかけた。
 「兄さんはどうする?」
 テリーはほんの少しの間を置き、いつも通りの笑みでさらりと答える。
 「そうだな。俺は世界一周してくるか」
 「それじゃいつもと変わんねぇだろ!」
 「確かに。まあでも、それでこそ兄さんらしいよ」
 口角を上げるテリーに対し、ジョーはケラケラと笑った。そんなジョーの様子につられたのか、アンディもフッと口元を緩める。
 三人ともいつも通りの調子ではあったが、いつも通りであるからこそ互いに安心し、信頼できるのだ。誓いがあろうとなかろうと、彼らの本質はいつまでも変わらず、これから先もずっと続いていくのだろう。
 「そうだ。これは誓いとは別なんだが、大会が終わったらマリーや舞も誘って皆でビーチに行こうぜ」
 「ああ、いいね! 是非とも俺達で優勝して、優勝祝いの休暇にしないとな」
 「そんときゃ俺とリリィの仲も進展してるだろうぜ。ま、いい報告期待しててくれよな!」
 外では日も沈んだのか、来店する客足が増え空いていた席に人影が増えていく。さらに賑わいを増す店の中で、三人の笑い交じりの話し声が溶け込んでいった。

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──  三種の神器チーム  ──

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 深夜。地下鉄の駅の構内、闇を湛えるトンネルから吹き抜けた風はその男のコートの裾を翻した。微かに乱れた前髪から覗いた鋭い目は、背後からヒールを鳴らして歩み寄る二人の女へと向けられている。
 「ご機嫌如何かしら...八神庵」
 「ククク...その様子だと、血の衝動にはまだ耐えられてるようだねぇ。つまらない」
 マチュアとバイスーーオロチ一族の一員であり、亡霊の如く八神庵に付きまとう二人の美女はうすら寒く感じるほどの美しい笑みを湛えながら、タイルを数枚隔てた先で立ち止まった。
 「言ったろう? 悪夢は始まったばかりだと。壊れた器から溢れ出た亡者は今も世界中を漂っているのさ」
 「あなたの血が疼くのも、全ては絶望の先触れ...世界に入った亀裂は今もひび割れ、広がっているわ」
 「何かと思えば...下らん」
 構内にボウッと音が響いたかと思えば、電光掲示板の薄い光をかき消すように紫色の灯りが場を照らし出した。どこか禍々しくも、実直なまでの苛烈さを湛えたその炎を見たマチュアとバイスの目が細まる。
 庵は紫炎に包まれた指を曲げ、ゆらりと振り返った。
 「失せろ。さもなくばーこの炎で送ってやろう、地獄へな」
 身を焦がさんばかりの殺意を一身に浴び、マチュアは満足そうに吐息を漏らす。一方、バイスはお気に入りの玩具を見つけた猫のようにニタニタと笑った。
 肩の力を抜いた彼女らの背後で照明が点滅する。暗転する度、二人の姿が紫の灯りに縁どられ、その目がギラリと輝いた。
 「アンタが悪夢の中で必死にもがく姿、特等席で見物させてもらおうか」
 「どうか私達を失望させないで頂戴ね」
 バイスがゆらりと身体を揺らし、マチュアが妖艶に身を乗り出す。そして、彼女らの指が庵をー彼の背後を指差した。
 「運命の時はすぐそこよ...」
 張りつめた緊張の糸を断つように、彼らの真横を轟音と共に回送車両が駆け抜ける。彼が睨んでいたその場所に、既に二人の美女の姿は無い。突風にあおられ、庵は髪とコートをはためかせながら、いつしか炎が消えた拳をゆっくりと握り込む。
 庵の背後でカツンとヒールがタイルを叩く音が上がった。規則正しい足音は真っ直ぐに庵の背後まで迫り、静かな視線をその背中へと注ぐ。  「ここに居たのね。随分と探したわ」
 女の声に八神庵は振り返る。
 凛とした声を紡ぐ女ー神楽ちづるは真っ直ぐに庵を見つめながら、その唇を開いた。
 「三種の神器として今一度、私に協力してもらえますか? 八神庵...」


 空は快晴、流れ行く薄雲を背に鳩の群れが飛び立っていく。
 街の一角、都会の喧騒が薄らぐ公園にて一人の青年が佇んでいた。噴水の音を背に浴びながら、彼ー草薙京はチラッと腕時計に視線を落とす。待ち合わせの時刻まであと一分といったところで、バイクのエンジン音が閑静な木立の間に響いた。
 「ごめんなさい。待たせたわね」
 目の前で止まったスポーツバイク、そこからしなやかに下りる女性へ京は肩を竦めた。
 「あんたにしちゃ遅い到着だな、神楽」
 「交通事故で国道が封鎖されていたの。焦って随分飛ばしてしまったわ」
 「おいおい、まさか焦り過ぎて法定速度を破っちまったなんて言うんじゃねぇだろうな?」
 バイクに一度視線を寄越してから冗談めかして訊ねる京に対し、ヘルメットを外しながらちづるは柳眉を寄せた。
 「そんなことする訳ないでしょう」
 そう返答して彼女は一息つくと、打って変わって真剣味を帯びた視線で京の両目を見据えた。
 「さあ本題に入りましょうか、草薙」
 ちづるのその言葉を聞いた途端、京の横顔からも先ほどまでの茶化すような態度は消える。
 雲が太陽にかかったのか、先ほどまで公園に降り注いでいた陽光の温もりが消えた。うすら寒さすら感じるような影が二人の上に落ちる。
 「前回の大会で現れた謎の怪物“バース”...その中から復活したのは、我々が祓ったオロチの残留思念だけではなかった」
 「ああ...こいつらの事だろ」
 ちづるの言葉を受け、京は自身のスマートフォンを取り出した。  数日前にちづるから送られてきたメールに添付されていた一枚の画像。そこに映り込んでいるのは街中に溶け込む三人の男女――かつて京達がその手で倒し、封印したはずのオロチ一族の姿だった。
 険しくなった京の表情を見つめながら、ちづるは眉を顰め、声色を落としながら言葉を続ける。
 「あれ以降、オロチの封印に何者かの力が干渉し始めているわ。幸い、今はまだ八咫の力で跳ね除けられるほどのものではあるのだけれど...日に日に力を増しているように感じるの」
 「それもこいつらの仕業だって?」
 京がスマートフォンに映した画像を指差すと、ちづるは首を横に振った。
 「いいえ、残念ながらそこまでは分かりません。ただ...オロチ四天王の力にしては何か異質に思えるわ。形容するなら、理そのものを変質させるような...」
 ちづるは言葉を途切る。ひときわ強い風が吹き、木立からざわざわと葉擦れの音、遠くにはカラスの鳴き声が響いた。
 「彼らが何を引き起こそうとしているのか、あるいは彼らもまた巻き込まれた側なのか...一体何が起きているのか、その真実を知るためにはあなたと八神の協力が必要なのです」
 ふと雲間から陽光が差し込む。
 ちづるは改まった様子で京へと向き直ると、その唇を開いて凛とした声を紡いだ。
 「どうか三種の神器として今一度、私に協力してもらえますか? 草薙京...」
 京はちづるから視線を逸らし、足元を睨み下ろす。
 「たくっ、先祖がどうだとか役目がどうだとか俺には関係ねぇって言ってんだろ。それに、八神と仲良しこよしなんてゾッとしねぇな。絶対に嫌だね」  そこまで言い切ると、京は短い溜息を吐く。
 「...って言いてぇトコだけど、そう言ったところであんたが諦めるとは思えねぇしな。今回だけだぜ?」
 彼は顔を上げ、ちづるの視線を真っ向から受け止めた。嫌気で強張っていた顔は諦めとも呆れともつかない苦笑へと変わる。その様子に、不安で陰ったちづるの表情が晴れ、彼女の口元にも笑みが生まれた。
 「ありがとう、草薙」
 しかし次の瞬間には、京はくるりと彼女へ背を向け、声を上げた。
 「ただ、手を組むのはいいけどよ。こっちにも条件があるぜ」
 「条件?」
 「面倒事が片付いた後、俺がやることに一切口出ししねぇなら考えてやるよ」
 肩越しに投げ掛けられた京の言葉に、何故かちづるは一転して苦笑を浮かべる。そして、葉擦れの音にかき消されてしまうほどの小さな声で彼女は呟いた。  「...同じことを言うのね、あなた達」
 「ん? 何か言ったか?」
 「何でもないわ」
 ちづるはバイクへ手を伸ばし、ヘルメットを抱え上げた。彼女はバイクを再び跨ぎながら京へと呼び掛け、彼は釈然としない様子ながらもその姿を見守る。
 「分かりました。目的を果たした後ならば、あなた達の行動に一切干渉しないと誓いましょう。けれど、オロチの封印に干渉している脅威を排除するまでは...三種の神器としての使命を優先し、きちんと協力してもらうわよ」
 「はいはい、“協力”ね。最低限の努力はしてやるよ」
 気だるげな返事にひとつ眉を動かした後、ちづるは来た時と同じようにバイクのエンジンを鳴らしながら去っていった。遠ざかっていく彼女の背を見送った後、京は手にしていたスマートフォンに再び視線を落とした。
 開かれているのは、先ほどのものとは別のメッセージ。送信者を示すスペースには“親父”と記されている。
 「さてと...こっちの面倒事については、どうすっかね」
 困り果てたかのような口ぶりに反し、彼の指はすらすらと一人の人物の電話番号まで辿り着く。
 そして、その番号を迷わずタップすると、京はスマートフォンを耳元に当てながら歩き出した。
 「もしもし、紅丸か? お前に頼みたいことがあるんだけどよーー」

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──  ヒーローチーム  ──

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タン・フー・ルーの元へKOFの招待状が送付された翌日。
 「此度の大会にワシは参加せんつもりでの」
 開口一番に放たれた師匠の言葉に、シュンエイと明天君は目を丸くした。
 「なっ...!? 何でだよ、じいさん!」
 「えぇ~っ、じゃあ今回は僕達、不参加ってこと?」
 眦を上げて憤るシュンエイ、そしてその隣で悲しそうに眉を下げた明天君に対し、タンは首を横に振る。
 「いいや...今回は草薙京と組んで出場してみなさい」
 「草薙京と?」
 「そうじゃ。シュンエイ、明天君...おぬしらは前回の大会を経て精神的にも成長を遂げておる。今のおぬしらであれば、ワシ以外の格闘家とチームを組むこともできると思うてな。なに、これも修行の一環じゃ」
 タンは航空券を二人へと差し出した。シュンエイと明天君は一枚ずつそれを受け取り、紙面に印刷された文字へと視線を注ぐ。そんな弟子二人の姿を見つめ、タンは目元をわずかに緩めたのであった。
 「柴舟殿に話はつけておる。日本への旅路、気を付けて行くのじゃぞ」


 「で、草薙京の代わりに何であんたが? 二階堂紅丸」
 中国から日本に到着した直後、空港の入り口でシュンエイと明天君を出迎えたのは草薙京ではなく、彼とよくチームを組んでいる男ー二階堂紅丸であった。怪訝な表情をして立ち尽くすシュンエイ、その隣でうつらうつらと頭を揺らす明天君を見るや否や、紅丸は苦笑しながら肩を竦める。
 「その草薙京は“別の用事”で手一杯らしくてな。代理を頼まれたんだよ」
 「全ッ然、話ついてねぇじゃん...」
 呆れ返るシュンエイに対し、紅丸は「同感だよ」と額を押さえた。
 紅丸が京から代理の話を受け取ったのはつい昨日のこと。大門は柔道連盟での仕事が入り、京も“野暮用”とやらでどこかへ出かけており、今回のKOFは参加見送りかと考えていた矢先の突然の連絡だったらしい。
 二人にそう説明した後、紅丸は改めてシュンエイと明天君へと向き直った。
 「俺がチームメイトでも構わないだろ? お前らは他にアテなさそうだし」
 「そうなんだけどさ。一度戦ったことがあるとはいえ...俺達はあんたのことはよく知らないし、それはそっちも同じだろ? もし...」
 もし、俺の力が制御できなくなって、暴走でも始めたら...
 シュンエイはそう言いかけてから口を噤んだ。表情を曇らせながら俯くその姿に紅丸は眉を顰めたが、彼が何かを言う前に「ふわぁ」と大きなあくびが上がる。
 「シュンちゃん、大丈夫だよ~」
 枕を小脇に抱え直しながら、明天君は空いた手でシュンエイの服の裾を引いた。とろんと眠そうな目でシュンエイと紅丸を順番に見回した後、明天君は無邪気な笑みを浮かべてみせた。
 「それにね、先生は修行のイッカンだって言ってたし~...僕ら、これから仲良くなればいいんじゃないかな? だからよろしくね、紅丸さん」  ニコニコと笑いながら手を差し出した明天君の姿を見つめ、シュンエイもまた肩の力を抜きながらぎこちなく笑った。
「...それもそうだな。よろしく、二階堂紅丸」
 「ああ、よろしくな。シュンエイ、明天君」
 三人で握手を交わす。その時、上空を飛行機が飛び立っていく音が響いた。シュンエイと明天君がふと視線を上げれば晴れやかな夕暮れの空と、飛んでいく機体の後ろに連なる飛行機雲が目に映った。
 「じいさんに優勝の知らせを持って帰ってやろうぜ」
 「えへへ、そうだね」
 顔を見合わせて笑い合うシュンエイと明天君の肩をトンと叩き、紅丸は二人へと笑いかけた。
 「さてと、チーム結成祝いも兼ねて何か食いに行こうか。俺の奢りだから、好きなの選びな」
 「ほんとに!? ありがとう紅丸さん! じゃあね、僕、ワギューの焼肉食べてみたい!」
 「おい明天、少しは遠慮しろって...」
 「和牛、焼肉ねぇ。オーケイ、ちょっと待ってな」
 シュンエイは眉を顰め、今にも飛び跳ねんばかりの表情で挙手をした明天君を肘で小突く。対して紅丸は二人の様子を気にする素振りもなく、慣れた手つきで店を検索している。しばらくして、彼はスマートフォンを二人の前に差し出した。
 「この店とかどう? この前ダチと行ったけど味は悪くなかったぜ」
 差し出された画面をスワイプしていけば、黒毛和牛と思しき艶やかな肉の盛り合わせや豊富なサイドメニューの写真が次々と現れる。シュンエイと明天君は思わず感嘆の声を上げてその写真を眺めた。
 「す、すごいな。本当にいいのか?」
 「気にすんなって。お祝いだって言ってるだろ?」
 爽やかにそう言ってのける紅丸の笑顔には、年長者としてシュンエイと明天君にいいところを見せようと見栄を張っているような様子は欠片も無い。シュンエイは紅丸の顔から視線を逸らし、ぽつりと呟いた。
 「意外だな...」
 「ん?」
 「あんた、派手だし軽薄そうに見えっけど。けっこう世話焼きなんだなって」
 「ふふん、こういうギャップを世のレディは好むからね。モテるための秘訣さ」
 その時、明天君が画面をシュンエイへ向けながら、興奮した様子で声を上げた。
 「シュンちゃん見て見て! スイーツもいっぱいあるよ!」
 「マジか! ...うわ、すっげぇうまそう...」

 色とりどりのスイーツの画像に思わずシュンエイの表情が綻ぶ。年相応の無邪気さが垣間見えるその姿を見て紅丸はニヤッと笑い、料理に夢中な様子の二人の肩に腕を回した。  「へえ、甘いもの好きなんだな。今日は好きなだけ食っていいんだぞ、シュンちゃん♪」
 「おい。飯を奢ってくれるのはありがてぇけど...ちょっと馴れ馴れしすぎないか、あんた」
 「シュンちゃん照れてる~♪」
 「からかうなって! たくっ...」
 空港の入り口から遠ざかっていく三人の背を明るい夕日が照らす。
 しかし、彼らはまだ知らない。この数日後、彼らが一人の少女と出会うことを。そして、それが今大会に忍び寄る災厄の序章であることを...。

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